今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

2017年6月1日(木)


・何が残せるかな。

「ふたりからひとりへ」

という本がある。

このホームページでも紹介している「時をためる暮らし」のつばた しゅういち 英子 夫妻の続著だ。

今読んでいて、色々考えることになった。

何が残せるのかなぁ。

ふと、そう思った。

仕事にしても。家庭にしても。

残せるものがあるんだとしたら、何があるだろうか?

僕たちの仕事は言うなら手仕事で、

技術なんて、いずれ、又聞きの又聞きになったころには、全然違うものになっていたりする。

だから、スティルは技術は残さなかった。

手とり、足とり教えることも決して悪くはない。

そのコミュニケーションそのものが、人を成長させ、その軌跡がひとの道をつくることもある。

守破離というけど、

それは、教える側の苦肉の言葉かもしれない。

今一度こう考える機会が得られたのは、なんかとても良かった気がする。

まだそんなこと考える必要もない年代だけど、自分の仕事の完結を考えて、進んで行くのなら必要なことだ。

思索は続く。

今日もみてくださり、ありがとうございます。愛なんだよなぁ。それは、わかってるんだけど、どう伝えるかは、ていねいに考えたい。

                                     小林 克
          

2017年6月2日(金)


・時間設定

ある本にこんなことが書かれてあった。

一年先を今として時間設定する。

それを見て、これはいいと思い、今実践してみている。

一年後自分はどんな毎日を過ごしているだろうか?

改めてより具体的に未来をイメージするのは、なかなか難しいことでもあるし、同時にワクワクすることでもある。

どんなスケジュールで動いているかな?

一年後どうなっていたいか、もしそうなっていたら、それは具体的にどんな生活なのか?

できる限り精密に想像してみた。

そして、そのスケジュールで動くつもりで、生活している。

朝はもう少し早く起きないと行けないな、とか

予定ではここまで働いているから、そのつもりで動かないとな、とか。

新しい意識がでてきておもしろかった。

しかし、2日くらいやるとその意識を保つことが難しくなった。

おお、一年後はこれをスタンダードにしているのか。

初めて気づく。

トレーニングしないと一年後そのスケジュールはこなせないということを。

そんなこんなで、一日少しだれて、次の日は、また元気に挑戦している。

そうやって、少しずつ体を、意識を成長させていきたい。

そんなことをしている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
そんなことをしていたら、その次の年、その次の年のことも、想像しやすくなった。想像は、すべてのはじまりだ。想像できるというのも力だよね。
                                     小林 克
          

2017年6月3日(土)


・いいこと、悪いこと

ものごとには、必ずいいところもあれば、悪いところもある。

だから、よくみることもできるし、悪くみることもできる。

今、悪いとどうしても見えることでも、未来は良くなると思うこともできる。

でも、そういうふうに良いところをみつけれるかどうかって、訓練なんだ。

悪いイメージなんていくらでも想像できるんだよね。

悪い方向に考えるのはいくらでも考えることができる。

それは防衛本能だから。

もともとあった原始の働きだから。

だけど、脳をしっかり発達させてきたヒトというのは、そこから一歩踏みとどまって、もう少し分析できるようになったんだよね。

いやいや打開できるかも、と。

まぁ、発達したぶん、その防衛の働きも、強化されて、一回あったことを記憶して、すぐに対応するという高度なことができるようになったおかげで、絶えず怖さばかり考えてしまいやすくもなってるけど。

高度経済成長期の時は、周りの勢いで、どんどん豊かになった時代で、きっとなんとかなるかっていう、ポジティブな姿勢も同時に生まれた。

でも、それは自分に打ち勝って作ったポジティブな力じゃないから、周りが少し崩れかけたら、一気に崩れてしまった。

だから、今は自分の力で、豊かになっていける時じゃないかと思ってます。本当に自力で、ポジティブな力を作って、豊かになっていく時だと。

だから、訓練していかなきゃね。

幸せか不幸せだったら幸せな方に立ってた方がいいじゃない。

それが自分でできるのなら、なおのこと。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
それが自分でできるのなら、なおのこと。

                                     小林 克
          

2017年6月4日(日)


・聖徳太子  

かの聖徳太子は、10人から話しかけられても、その内容を的確に聞き取り、的確な答えを示したという。

そんな様を

豊聡耳(とよさとみみ)と呼ばれた。

子どものころはただの伝説的なこと

ととらていたけど、

家族ができた今、その力欲しいなと

真剣に思う。

たくさんの話をできるだけ聞ける耳が欲しい。

その内容をしっかりうけとめる器量が欲しい。

そうすれば、今日あったできごと。いま考えていることも、たくさんたくさん聞くことができる。

子どもたちもたくさん聞いて欲しいことがあるし、妻もある。

普段ともにいれる時が多くはないからこそ、

その時をしっかりと凝縮したい。

そんな集中をもって、毎日を過ごしたいものだ。

そう思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。聞くことも一流があるんだなあ。

                                     小林 克
          

2017年6月4日(日)


・聖徳太子  

かの聖徳太子は、10人から話しかけられても、その内容を的確に聞き取り、的確な答えを示したという。

そんな様を

豊聡耳(とよさとみみ)と呼ばれた。

子どものころはただの伝説的なこと

ととらていたけど、

家族ができた今、その力欲しいなと

真剣に思う。

たくさんの話をできるだけ聞ける耳が欲しい。

その内容をしっかりうけとめる器量が欲しい。

そうすれば、今日あったできごと。いま考えていることも、たくさんたくさん聞くことができる。

子どもたちもたくさん聞いて欲しいことがあるし、妻もある。

普段ともにいれる時が多くはないからこそ、

その時をしっかりと凝縮したい。

そんな集中をもって、毎日を過ごしたいものだ。

そう思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。聞くことも一流があるんだなあ。

                                     小林 克
          

2017年6月5日(月)


・やるべきこと

やるべきこと
やりたいこと
やった方がいいこと

どれを一番最初にやるべき?

と問われたことがある。その当時は答えることができなかった。

しばらくたって、なんとなく考えがうかんできている。

やった方がいいこと、は、未来に向く自分
やりたいこと、は、今の自分
やるべきこと、は、過去から今を支えてくれている自分

過去にやってきたこと、過去につながってきてくれた人たちのおかげで、今の自分がいる。

その今の自分が好きでも、嫌いでも、

その事実は変わらず、そのおかげで今生活でき、今生きれている。

そんなことがやるべきこと。

今の自分を支えてくれているものだ。

そこから、今度は自分に帰り、自分はここからどう発展していきたいのか?どうしていきたいのか?何に興味があるのか?どうなりたいのか?

そういった問いに答えていくことででくるのが、
やりたいこと。

今、現在の未来志向の自分。

そして、その未来を具体的に見据え、イメージし、そこまでの行程を想像し、でてくるのが
やった方がいいこと。

未来の自分。

この関係がちぐはぐになったり、今の自分や、これまでの自分が嫌だったりすると、順番はぐしゃ、ぐしゃになる。

でも、きほんてきに一つの流れしかない。

たぶん一番大切なのは、やるべきこと。

かもしれない。

やるべきことを丁寧にこなすことは、今の自分を認めること。過去の自分を救うこと。

大げさにいうと、そんなことにもなるかもしれない。

やるべきことを、ないがしろにはできないなぁと思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。やるべきこと、やりたいこと、やった方がいいこと。この流れがスムーズだと、たぶん気持ちいいよね。
                                     小林 克
          

2017年6月6日(火)


・変化すること、し続けること。

強いものが残るわけではない。

変化し続けるものが残っていくのだ。

これを頭では、理解してても実行することは、なかなか難しい。

でも、この重要性をようやく最近理解しはじめた。

何かを成していくのに、

強いとか、優秀とか、賢いとか、頭が良いとか、上手いはあまり関係がないということ。

変化し続ける。何かを変え続ける。

そうした活動こそが何かを成すという一過程を通過することができるということ。

変化するのは、なんだっていい。本当は考えなくたってわかっているんだ。

変化させるのは何も行動だけじゃない。

心の中だって、立派にその一つ。

あるシチュエーションの時に、心持ちだけでも変えてみた。

そんなことをやっていると、やがて気づくはずだ。

自分の発する言葉や、コミュニケーションそのものの行動もまた、変わっていることを。

おんなしシチュエーションなんてなかなかないから、そういうことなら、変化できる余地なんて、たくさんある。

今自分に変えれるものは何か?何なら変えれる?

こう問いかけてみるのも悪くはない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。変えれるものを変える勇気を持ちたいね。

                                     小林 克
          

2017年6月7日(水)


・何気ない優しさに心が救われる夜

へこんで帰った日に用意してくれていた夜食。

何気なく向けられる笑顔のあいさつ。

子どもたちの遊んでいる姿。

何気ない優しさに心が救われる夜もある。

そんな時、僕は彼らに同じような優しさを、送ることができているのだろうかとも思う。

でも、実は何かができている、できていないは問題じゃない。

できていないなら、変わればいいし、

できていても、さらに変わっていかないといけない。

できてないなら、伸び代があるということ。

だから、変わり続けるだけ。

そうしたら、何かに固執している自分は、もういないと思う。

そんなことを思えるのも、優しさをもらったおかげ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。変わることも優しさの1つだろうし、きっと感謝の一つ。

                                     小林 克
          

2017年6月8日(木)


・体の使い方

体には二つの側面がある。

一つは、身体としての体。もう一つは、脳機能の
作り出す体だ。

身体としての体はそのままで、いわゆる体だが、これは、過去にどのような外傷歴があって、その影響に対してどのように代償してきたのかというのが現れる。僕たちがオステオパシーを通して介入するのは主には、こちらだ。

もう一つは、それらの体に対して、発達の過程としてどのように動き、対応してきたかを示す体がある。それが脳機能としての身体。簡単に言えばどのように運動を学習してきたのかということだ。

これらは切ってもきれない仲で、治療にはこれらの二つの要素を注意深くみる必要がある。

特に慢性的な状態、後遺症となっている時には、その人がどう動きを覚えてきたかを理解するのは重要だ。

だから動きもみれた方がいい。

だけど逆もいえて、この人がどう歪んでいて、何が原因でその状態に至っているのかが理解できなければ、いくら動きを変えようとしても、それは無理な動きだ。

だから、二つの要素がいる。

だから、リハビリオステオパスなのです。

今日もみてくださり、ありがとうございます。だから、片側だけで足を組むとかは、何も無理なことではない。そういう体でそれがやりやすいのだ。それで歪むということはない。なぜならすでに歪んでいるから。

                                     小林 克
          

2017年6月9日(金)


・一番優しいことって何だろう?

一番優しい行為って何だろうか?そんなことをふと思って考えてみると、

やっぱり、自分が変わることだよなぁと改めて思った。

何か変えたいものがある時、なんとかそれを変えようとするものだ。

でも、多くの場合結局それは、完全に変わることはない。

最後のピースはいつだって自分だ。

僕はそのことを結局素粒子まで勉強してようやく理解したけど、

考えてみたら当然のことで、

先にまず名乗れと同じことで、

自分が何かを先に変えることが一番、原理にあってる。

でも、そんなことをしていたらなんとなく自己否定ばかりになっているような気がしてくるかもしれない。

それは、すでにドツボにはまっている。

変えたいものだけ、変えたらいい。

変えれるものだけ、変えたらいい。

あるシチュエーションの自分の気持ちとか。

そんなものからでいいのだ。

なんでドツボにはまっているかというと、その自己否定ばかりという想念の奥にある、本当はそれも変えたいという願望に気づかない状態にあるからだ。

変えたいものだけ変えたらいい。変えたいというものを変えるとき、それはネガティヴな方向に行かない。

なぜなら、心地よい方向にしか人の脳は進めないから。

良くなっていくことを止めるのは、止めようとしてしまうからだ。常に良い方向に行こうとするうごきは働いている。

過去の思いがそのうごきを見えにくくしてしまう。だから少しだけ意識してみる。

自分が変わるということを。

今日もみてくださり、ありがとうございます。治療だって、教育だってきっと一緒。

                                     小林 克
          

2017年6月10日(土)


・幸せの味わい方

所ジョージがこんなことを言っていた。

「幸せだなーって思ってるやつは、幸せだし、不幸だなーって思ってるやつは、不幸なんだよ。」

僕たちはどこかで、幸せの味わい方を忘れていってしまったのかもしれない。

おいしいごはん。

なかなかできない経験。

やりがいのある仕事。

幸せな状況はたくさんあるのに、どこか急いでしまい、どこかあせってしまい、そんな状況を十分に味わえていない。そんな気がしてしまう。

お布団で寝れること。朝眼が覚めること。家族と一緒にいれること。

いつの間にか、自分の意識からこぼれ落ちて、

それは、幸せをこぼしていることともいえないか。

良いところをしっかり見つめる。

ありがたさ、好きであること、おもしろさ。

そういったものをしっから認識して生きるには、

自分は何が好きなのか?何を幸せに感じるのか?何に興味があるのか?

自分を、知っていくこと。

味わうことは、集中していくことでもあると思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。日々の出来事にこそ、自分を伸ばすチャンスがある。

                                     小林 克
          

2017年6月11日(日)


・自分の臨床を発展させる

誰かになろうとしていないか?

要素、要素はいいかもしれない。

憧れが自分を、進めてくれることは大いにある。

でも、最初、この職につこうとした時の気持ちを思い出したい。

それは、誰かになったらできることだろうか?

ほかの誰かがやれることだろうか?

大きなものを見た時、あるいは、わからず途方にくれる時、

僕たちは何かよりどころになるようなものをさがしてしまう。

忘れたくないのは、それは一つの過程であること。

自分の、自分にしかしていない経験の上に、臨床の発展がある。

多分自分にしかしていない経験がだれにもあると思う。それを発展させていくのは、本人の手に委ねられている。

考えること。

チャンスは自分の臨床の中にある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
他にないものを作りたい。それは、たぶん今まで生きた道のりを丁寧にみることからヒントが得られるかもしれない。
                                     小林 克
          

2017年6月12日(月)


・何もしていない時でも伸ばせるもの

オステオパシーは非常に集中力を要する技術だ。

知識だけではなく、

その感覚に全身を集中させ、施術を行う。 

だから必要となってくるのは、技術だけではない。

心技体と、よく武道やスポーツでは言われるが、オステオパシーという、体を扱う職人のような世界でも同じようなことが言えると思う。

世界の第一線のオステオパスの施術する姿はなんとも美しい。

自分の体と、相手の体。

それに対してどのように力を抜いたらいいか、体をどのように扱ったらいいか。すべて理解している。そんな感じだ。

心と体を伸ばせるのは、臨床に向かっているときだけではない。

家事をすることも、朝起きることも、夜寝ることも、いうなら子供と遊ぶことも。

心を込めて、心を咲いて。

そうすることで、集中力は高まり、一つ一つが重なっていく。

全力で休日を。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そういえば、武士の修練もまた、日々の所作一つ一つだった。
                                     小林 克
          

2017年6月13日(火)


・セミナー

セミナー講師として、この土日の二日間は、福岡に行ってきた。

セミナーとは、不思議な場だ。

受講生はもちろん、新しいことを学びにきているのだから、色々な発見や、影響をうける。

しかし、同時に講師自身も教えるというものを通して、受講生から、またはその姿から多くの影響をもらい、発想をもらい、力を受ける。

そうやって、双方に影響を交換し合いながら、独特の力強い場ができあがっていく。

やがて次の日からの臨床に入った時、またその臨床がひとまわりも、ふたまわりも変わっていることに気づく。

それは、受講生として受けていた時よりも、もしかしたら講師として活動した次の日の方がわかりやすいかもしれない。

受講生の時は、新しいものを授かるので、それを消化することに精一杯だからだ。

そして、同時にこうもいえる。

その独特の場から離れてからが勝負なのだ。

その時に発する集中力を保って、1人の臨床生活を重ねていくことは、容易なことではない。

だからこそ、一つ一つの手順を積み重ねるように、

丁寧な仕事を心がけたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。貴重な機会をいつも与えていただいていることに、心から感謝を。
                                     小林 克
          

2017年6月14日(水)


・リズム

同じリズムを保って過ごしてみようとすると、改めて人は毎日変化して生きていることがわかる。

同じリズムにはなかなかならないからだ。

外国を旅行してみると、改めて思うのは、

日本という国のいいところだ。

それと同時に長く住んだ日本のことを何もしらなかったなと思い知らされる。

場所、時間、気持ち、行動。何かに変化をつくるから、初めて見えてくる。

何もしなければ、いつもと同じ毎日だ。

自分の中のフィルターは注視も何もせず過ぎて行くことにもなる。

同じ毎日でも、先に書いたみたいに、リズムを保とうとすれば、それはもう同じ毎日ではない。

だからこそ違った側面に目がいくようになる。

「本当の失敗は、何もしないこと」

毎日を好奇心と、チャレンジの喜びで満たすことができたら、なんと力強く生きることだろうか。

意識だけでも変えてみる。そんなところからはじめてみようと思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分の中の好奇心をみつけること。これも大切な変化。
                                     小林 克
          

2017年6月15日(木)


・バランス

オステオパシーではバランスをとる。

ということをよく言う。

体にかかる膜の緊張に対してバランスをとるということだが、このバランスというのが非常に難しい。強すぎてもダメだし、弱すぎてもダメ。そして絶えず変化し続けるそのバランスに対応しなければならない。

長年それをやり続けていて、

こういう概念は色んなものにあてはまるよな、と。

例えば自分の認識。

客感的にみるとどういう立場で、とかを考えてみると、自分の立ち位置や、いま自分が思っていることの立ち位置が見えてきたりする。

相手と自分の関係でもそうだ。自分から離れて相手の立ち位地や立場を考えてみて、はじめて自分の立ち位置との関係がわかる。

外側からの認識、外側からの刺激。

対人関係にしても、社会関係にしても常に、自分との間でエネルギーのバランスはある。

そのおおまかでも大きなくくりを把握できて、はじめてバランスをとることができる。

そして、その意識、認識を保つ。

そうすることで、ついつい自分によりがちな認識とのいいバランス関係がえれる。

その手順はオステオパシーの技巧と似ている。

僕はいま大切な意識を学んでいる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。しっかり、自分のこともみてあげることも大切だけどね。
                                     小林 克
          

2017年6月15日(木)


・バランス

オステオパシーではバランスをとる。

ということをよく言う。

体にかかる膜の緊張に対してバランスをとるということだが、このバランスというのが非常に難しい。強すぎてもダメだし、弱すぎてもダメ。そして絶えず変化し続けるそのバランスに対応しなければならない。

長年それをやり続けていて、

こういう概念は色んなものにあてはまるよな、と。

例えば自分の認識。

客感的にみるとどういう立場で、とかを考えてみると、自分の立ち位置や、いま自分が思っていることの立ち位置が見えてきたりする。

相手と自分の関係でもそうだ。自分から離れて相手の立ち位地や立場を考えてみて、はじめて自分の立ち位置との関係がわかる。

外側からの認識、外側からの刺激。

対人関係にしても、社会関係にしても常に、自分との間でエネルギーのバランスはある。

そのおおまかでも大きなくくりを把握できて、はじめてバランスをとることができる。

そして、その意識、認識を保つ。

そうすることで、ついつい自分によりがちな認識とのいいバランス関係がえれる。

その手順はオステオパシーの技巧と似ている。

僕はいま大切な意識を学んでいる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。しっかり、自分のこともみてあげることも大切だけどね。
                                     小林 克
          

2017年6月16日(金)


・おはよう。

だれかが言ってくれるこの言葉が、

今日一日のスタートの合図。

笑顔で言ってくれるこの言葉が、

今日のスタート。

長い人生。バランスが崩れるときもあるさ。

そんなとき、だれかが言ってくれるこの言葉が

自分の横にそっと座ってくれて、

少しずつ、少しずつ

体を起こしてくれる。

目を覚ましてくれる。

だから、あいさつって大事なんだね。

支えてもらって、ゆっくり休んで、少し元気になったら、ほら。

今度は、自分が言ってみよう。

おはよう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。朝はエネルギーが満ちている。おはようは、そんなエネルギーを受け取りやすくしてくれる。
そんな願いを込めて。

                                     小林 克
          

2017年6月17日(土)


・お金さん

お金さんとの向き合い方。

お金さんとは、お金のことです。

自分がこうやって院を作ったとき、一番悩んだものだと思う。

医療者というのは、本当に社会性に乏しいもので、

お金を直接もらったこともないし、経費の計算や、運営のことを考えたこともなかった。

だから、特にお金というものは、1番考えたかもしれない。

色々考えた末、

今はお金を人ととらえている。

だからお金さん。

自分がやりたいことを実現してくれるお金さん。

自分の大切な人のやりたいことを実現してくれるお金さん。

使うときも、いただく時も、その先をより意識できるようになった。

その先にある、夢や、もっと良くなる世界や、守りたい人へ繋げてくれる。その仲介人だ。

払う度、頂く度、そこに向かえる幸せを意識でき、お金さんに自然と感謝するようになった。

払うことも、いただくことも。

こんなこと、起業しなければ、一生考えなかったかもしれない。

本当に様々なご縁にありがとうだね。

今日もみてくださり、ありがとうございます。ありがとう。ありがとう。
                                     小林 克
          

2017年6月18日(日)


・マイナーチェンジを繰り返す。

心のこと、体のこと、習慣のこと。

何かを変えようとするのは、どうあっても大変なものだろうし、

ストレスを感じるものかもしれない。

それは、間接的にこれまでの自分を否定することに思えてしまうかもしれないし、

変わらない自分が逆に腹立たしく感じられるかもしれない。

だから僕はこう考えている。

「変えれるものだけ、変えましょう。」

しょうもなく思えることでいい。

マイナーの中のマイナーみたいなものでもいい。

ある場面だけの意識とか、気持ちとか、あるいは姿勢とかそんなものでもいい。

変えれるものから変えましょう。

いつもそうする必要はない。やれる時にはやりましょう。

僕自身も時折問うのは、

「何なら変えれる?」

ということ。

そんな時思い浮かぶのは、大抵、認識を少しだけずらしたりとから、そういうのも、しんどい時は、背筋をのばすとかそんな具合だけど。

それでもあとで気づくのは、

似たような状況やいつもだったらこうなってしまうという時の反応が変わっていくこと。

今歩いている道も1ミリずつ横にずらしたら、全然違う道に乗っている。

マイナーチェンジからはじめよう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。さぁ、何なら変えれる?
                                     小林 克
          

2017年6月19日(月)


・父の日

昨日は父の日で、妻と子供が父の日を祝ってくれた。

本当、こっちがありがとうと言いたいくらいなのに。

「いつもありがとう。」

「こちらこそ。」

父親であること。夫であること。

改めてかみしめよう。

僕は父の日をそういう日にしよう。

そして、自分の父親に感謝しよう。

父にとって、僕は息子であり、

妻にとって、僕は夫であり、

子供にとって、僕は父である。

これが僕が大切にしたい、関係性で、

今日いのちのバトンを受け継いで、与えてもらっている宝物だ。

もう一度しっかり確認しよう。

僕が僕であるために。

今日もみてくださり、ありがとうございます。こちらこそ、ありがとう。
                                     小林 克
          

2017年6月20日(火)


・後手後手にまわるそんな時は

タイミングが合わない。

なぜかうまく噛み合わない。

後手にまわった対応がさらに後手にまわり、修正が効かない。

「押してダメなら引いてみろ」

古人は素敵な言葉を残している。

がんばってもだめなら、休んでみる。

走ってダメなら、歩いてみる。

泣いてだめなら、笑ってみる。

押してもだめなら、引いてみる。

きっとダメな時は、悪いサイクルの中かもしれない。一旦おいてみたらいい。

ダメだと思うときも、変化の途中なのかもしれない。だって、明確な理由なんてないこと多いもの。

そういう流れの時もある。

そんな時はうーっと凝り固まるのじゃなく、引いてみろくらいの気持ちで気持ちを離すこともきいかもしれない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。「引いて見ろ」ということかもしれない。

                                     小林 克
          

2017年6月21日(水)


・ポジティブを超えて

明るいだけではなく、前向きなだけではなく

確実に問題を解決するための思考が必要だ。

それが解決されることがわかってるかのような、

絶対大丈夫というのがわかってるかのような、

そんな心持ちですんなり、あっさり物事をしてのける。

そんな心か必要だ。

ポジティブ野郎ならぬ、ブレイクスルー野郎。

どうあがいても解決する。どうあがいても解決し続ける。それが当たり前かのようなブレイクスルー野郎。

漫画「ワンピース」での主人公ルフィの言葉が印象深かった。

「海賊王に、俺はなる。」

そして、

「あせることはない。楽に行こう。」

まるで微塵にも疑わないかのような、まるで最初からそうなることが決まっているかのような、そんな言葉。

「おれが決めたんだから、それで死んでも後悔はねえ。」

決めるということの本質を表現している。そんな気がする。

決めるとは、もう決めるということなのだ。決めるということは、もう決まっているということ。

そうではないということは、もう死ぬことで、そういう終わりはもうただそれだけということ。なんの後悔もなく、ただそうかと。

それは想像の中の一例にすぎないけど、

そんなブレイクスルー思考が必要だ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。あせることはない。楽に行こう。

                                     小林 克
          

2017年6月22日(木)


・実践者でありたい。

導く者ではなく、実践する者でありたい。

やり方を問うのではなく、自らが実践するものでありたい。

世界について問うものではなく、自らがその歯車となり、しっかり動かしていく。

僕の嫌いなことの一つに、自分が、自分なりの意見を持たずに、注意すること。指導すること。

できる限りポジショントークにならないように願っている。

嘆くぐらいなら、自分がまず動く。

そんな人間を目指したい。

きっと、そういう人は背中が語っているんだろう。

それは周りから見ればわかる。でも、自分は気づかずひたすら使命に没頭し、変化し、楽しんでいる。

どんなに有名になったって、どんなに素晴らしい仕事をしたことがあっても、変化をとれめれば歯車を回していないのと一緒。

そんな人でありたいと思う。

そんなことを考えていたら、宮沢賢治の「アメにもマケズ)を思い出した。

ただ、ただ自分の道を歩もう。

今日も見てくださり、ありがとうございます。岩手に住んでいたことがあった。雨にもマケズは何度も聞いた。
                                 
                                    小林 克

2017年6月23日(金)


・立場が違えば思うことも。目指すことも。

オステオパシーはアメリカでは医師と同じ立場である。

それゆえ、薬学も外科学もアメリカのオステオパスはカリキュラムに多くを含め、それらの選択もできる。

逆にそうであるからかもしれないが、アメリカで本当に手技を中心に診療しているドクターは少ない。

ヨーロッパでは、立場がどちらかというと理学療法士に近い立場で、法制化されているため、手技での診療が根幹となり、技術は様々に発展した。

現状の環境で言えば、もしかしたらオステオパシーの特徴が十分にでているのは、今はヨーロッパかもしれない。

しかし、オステオパシーをつくったスティルを思い出したい。

彼はより自然で、より良い治療法を求めただけだった。

より人がより良く過ごせる最良の方法を探し、考えたのだ。

その原点に、その初志を僕たちは常に帰らなければならないのではないか?

より先を、みつけていきたい。

環境は自分の中に育っていくもの。

立場が違えば、他方を比較し、自己を守るための主張をすることもあるかもしれない。批判しあうこともあるかもしれない、

思うことも違うかもしれない。

でも、目指したいところは同じはず。

それに応じてきっと環境は変化していく。

今日も見てくださり、ありがとうございます。日々根強く、まずは自分から。
                                 
                                    小林 克

2017年6月24日(土)


・ただ静かに

ただ静かにいよう。

ただ見守っていよう。

そして自分の人生をしっかりと歩もう。

いつもより少しだけていねいに。

共感と個人の時代。

ともに多くを自分のフィルターで感じ、

ともに多くを共有し合い、

励まし合い、

自分の、自分だけの道を歩む。

自分を大切にすることは、まわりを大切にすることでもあり、

まわりを大切にすることは、自分を大切にすることでもある。

だからちゃんと自分でいよう。

ただ今日も静かに。

今日も見てくださり、ありがとうございます。今日も少しだけていねいに。
                                 
                                    小林 克

2017年6月25日(日)


・働ける喜び

男女皆遜色なく働ける世の中だし、働くということに関して、男女に境は本質的にないと思う。

でも、男性は産む喜びを知りえない分

やっぱり働くことを心から喜んでいくことが大切だなぁと思う。

働かせてもらえることに感謝したい。

そして、この肉体を目一杯使って、働ける。その一瞬、一瞬に全力を尽くそう。

人より重い荷物が持てる。

たくさんの仕事を任してもらえる。

大きな案件にチャレンジできる。

自分自身に与えてもらったものを、目一杯使って取り組めることを喜ぶ。

めんどくさい。

だるい。

そう思ったら多分それは、すごくもったいないことだろう。

だからこそ、心の準備というのは、大事。

1日1日整えて。

今日もみてくださり、ありがとうございます。弱いのも完璧でないのも知っているからこそ、取り組める。                            
                                    小林 克

2017年6月26日(月)


・時間

昔、自分が勤めていたところの上司が、若い時は、「1日が26時間ぐらいあってくれたらいいのにと思っていた。」ということを聞いたことがある。

その時の自分は、あまり気持ちがわからなかった。

それから大分時間がたち、つい最近、同じようなことを思っている自分に気づいた。

見たいもの、やりたいこと、できたら睡眠時間も取りたいし、子供と触れ合う時間ももっと欲しい。26時間くらいあったらいいのに、と。

でも、そう純粋に思えるようになってきたのは、自分のしなければいけない仕事が、やりたい仕事になってきているからだとふと思った。

自分のしなければいけないは、これまで夢に向かうことだった。

したいことでも当然あるが、道のりが見えなさすぎて、あるいはそれのまだスタートラインにも立ってない気がして、気持ちの上で少しの重圧を感じていたのかもしれない。

理想とする自分と現実の自分の間でバランスはうまく取れていなったのだろう。

今はその感覚が変わってきている。言葉ではうまく言い表せないが、理想とする自分がなくなったとでもいうのか。

なんともいいづらいけど、ポジティブな意味で理想という概念が変わってきている。

追わなくなってきたのだ。

少しずつ確信している。

夢は実現する。

そのレールの上にいる。

取りこぼさないよう、丁寧に過ごそう。

今日の出会い、今日の施術、今日読んだ文章、今日交わす会話。

一つ一つを自分に刻むよう、自分の道のり、場に刻むよう心を込めて、進みたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そゆなことを考えていたら、1日がしたいことで埋まってきた。
                                    小林 克

2017年6月27日(火)


・常に一つ新しく。

最近自分に課してきた一つのテーマが「変わる」ということだった。

別に何か大掛かりに「変える」わけではない。

例えば、何かする時の気持ちとか、財布を入れる方向とか本当に些細なことを変えることに取り組んだ。

そうすると、いつもなら心配になって確認するような作業を、特に気にせずすっと行えるようになったり、いつもより体力が長続きしたり、変えようとしていないところまで、変化を感じはじめた。

しまいに何か変えたいと思うことがあまりなくなったような気がする。

そこで、今度は違うことをテーマにすることを思いついた。「何か一つを新しく」。些細なことでいい。変化と何が違うのかと言われたら、新しく、という気持ちが違うだけかもしれないが、もしかしたら面白い結果が待っているかもしれない。

そんなことを考えている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。意識は一定に常に保たれることはない。だったら、積極的に変えていってしまおう、そんな考えがスタート。後退なんか実はなくて、常に新しく、常に大きくみれば良くなっていっているのが人生なのだとしたら、変化の渦にいることは、むしろ安定ではないか。そんな取り組み。

                                    小林 克

2017年6月28日(水)


・社長

背負えば背負うほど、向き合うことになるのは自分の弱さだ。

まるで自分の弱さの誇張のように、周りの環境というのはふるまう。

だから、必死で考えることになる。

必死で動くことになる。

これがいい。

男は妻子を持って一人前。

これは自分の師に言われた言葉だ。

大きなものを背負っている人ほど、たぶん自分と向き合うし、同時に自分の卑小さを目の当たりにし、そして乗り越えている。

そんな弱いけど強い。そういう表情は、僕は好きだ。

本当のことに向き合うほど、怖くなる。

卑小の自分こそ、自分自身ではないかと思ってしまう。

乗り越えるなどは本当はない。

ただいつの間にか変わっている。

それは違う自分を積み立てつづけたからだ。知らないうちにもそれはしている。

必ず解決できる道だから。

変なパラドックスだけど、僕たちはきっとそう。

信じる。ということをしている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。乗り越えれるから与えられるとは、その通りなんだろう。だったら、もうそうだと信じてしまおう。

                                    小林 克

2017年6月29日(木)


・人生は地図を描くように

何か目的地に行き着くことこそ、使命であるかのように思っていた。

その目的に自分を縛られて、道のりを楽しむことを忘れてしまっていたのかもしれない。

最近よく読む作家さんの本に、旅に出た時の地図は自分で描くというのを読んだ。

地図を描くというのは、いいな。

誰かの見つけた宝の地図には、その人の苦悩、紆余曲折が滲んでいる。ここの洞窟には何があった。ここはなんの町があった。決して宝の位置だけぽつんと描かれているだけではないだろう。

そして、その道のりこそが意味を持つ。

地図とは足跡。それこそが、宝以上の価値を持つ。

旅のようで、旅ではない人生は、その足跡こそが、宝そのものとも言えるかもしれない。

そして、地図はすべての人が持っている。生まれ前にもらうのだ。

だから目的地に着くことはあまり重要ではない。必ず到達するのだから。

でもたどる道のりは自由だ。

人生は地図を描くように。全ての経験が地図の一部。丁寧に描こう。それは誰かの意味になる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今まで描いた地図はどんなものだったろう?

                                    小林 克

2017年6月30日(金)


・純情(すなお)

いつも純情(すなお)であること。

生きるうえで最も大切なことはなにかと言われたら、やっぱりこれなんではないかなと思っている。

子供のような純情さは、本当に大切なことだけど、

大人の純情さは、それだけでは難しい。

いつの間にか子供の時にあった純情さは、社会に揉まれ、時にひん曲がり、失われていってしまう。

そう、思われているかもしれない。

でも、それは間違いだ。

子供のような純情さは、今もだれでも持っている。

ただ、大人の純情さになっていくためには、それを育てていかないといけない。

いろんな役割、責任、経験。そんな中から常に柔らかで、常に一つの筋が立って、常に喜んでいれるのは、そんな純情さを育てている人だ。

なにか出来事がある中、その本当をみつけること。

その本当は自分の中にある。

自分の心がスッと通るところ。

そうしていくうちに、それは日常になり、習慣になり、信念を超え、自分の生き方になる。

ふんわり受けることも、迷わず信じることも、だんだんできるようになる。

その原型は子供の心。その上にたくさんの積み重ねが乗っていく。

今日もていねいに、すごそう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。人はなかなか簡単には変わらないけど、必ず変わるもの。それはすべてのひとがもってるから。

                                    小林 克