リハビリテーションとオステオパシー

 

 この項目は、オステオパシーの講師として、また地域の訪問看護ステーションで務めさせていただくなかで、多くのリハビリテーションにかかわる理学療法士や、理学療法士でオステオパシーを勉強されている方々が、リハビリテーションが本当に効果を上げているのか。どうリハビリテーションとオステオパシーを統合していけば良いか、ということに非常に悩みながら臨床の場に立たれているいうことを知り、そのようなセラピスト向けのページとして作らせていただきました。ですのでできるだけわかりやすく書いたつもりですが、一般の方々には少し慣れない表現などがあり、わかりにくいかもしれません。しかし、どのように人の体はでき、何が問題となってくるか患者さん自身も知っておいたほうがいいと考えますので、ぜひ読んで頂ければと思います。

 

 オステオパシーは主に膜組織に対してアプローチします。

 

膜組織といのうは、簡単にいうと「人の体を形作っているもの」です。

筋膜繊維
筋膜繊維

考えてみて下さい。人の体のまず基本的な部分として骨格があります。その骨格は、例えば骨標本のようにねじでとめられているのではありません。でもガイコツの人形を見ればわかるように、骨と骨はネジで止めてなければつながりはしません。では実際の人間ではどうなっているでしょうか。それは、膜という組織によってつながっているのです。関節にある膜は関節包とか靭帯という名前に変わります。しかしそのどれもつながっているのです。同様に膜という組織は骨格に筋肉もつなぎとめ、内臓をつなぎとめ、血管や神経も包み込んでつなぎとめています。自分の臓器を自由に取り出せる人をみたことはないでしょう。 この膜組織が全身にわたり、さまざまな組織をつなげ、かたちづくっているのです。

 

だから膜組織というのは「人の体の形を作っているもの」。 全身にひろがり、様々な臓器を包み込んでいます。

この膜組織はビニールの袋のようにあまり伸び縮みしない組織でできています。ではもし、なにかの拍子にこの組織がねじられたりしたらどうなるでしょう?そのねじられた力によってできる引っ張りの力は周りにひろがっていきます。

例えば、人体で考えると、その引っ張りの力は正常に働いている血管や神経に及ぶかもしれません。もし、そのねじられた箇所が二か所あったなら、あるところでは引き違いの力がかかるかもしれません。そうして正常に働いている臓器に余計な引っ張る力が加わり、その臓器はもしかしたら正常な働きがしにくくなるかもしれません。そうなってくると体は危機を感じ、「痛み」という信号を出して私達に異常を知らせてくれるのです。 

 

私達オステオパス(オステオパシーの施術者;以後オステオパスと記載)はさまざまな検査や、傾聴という独特の技術を用いて、その「引っ張りの力」をみつけていきます。もしかしたら、その引っ張りの力のせいで関節は正常な範囲動かないかもしれません。その基となっている力を 身体に触れ、探していきます。

 

そしてその力を解放するのです。

 

手技は比較的穏やかに実施されます。また、場合によってはパーカッションバイブレーターという、マッサージ用の機械を用いることもあります。

 

 

ではどんな時にその力は生まれるのでしょうか?

 

この引っ張る力というのは、一般的には瘢痕や癒着している組織のことを言います。

外傷や手術などで怪我をして治ったところの皮膚が少し膨れて見えることがあると思います。あれは、皮膚やその下の筋膜にねじれをつくり引っ張りの力を作っているのです。

 

また、手術などをしたところには必ず組織と組織がくっついたり、繊維を作ったりして、その部分を強化する働きがあります。これも引っ張りを作ります。しかし、この癒着には手術でしかはがせない強固なものもあります。

 

その他にも人生のなかでさまざまにその力が生じるタイミングはあります。先程言った手術や骨折、外傷だけでなく、例えば精神的な出来事などもその力を作りえます。

 

なにか本当につらく、苦しいことがあった時、胸が苦しくなったり、しめつけられるような思いに駆られたことはありませんか?

あれは、本当に呼吸を止め、身体を固くし、自分を守っているのです。強烈な体験であればあるほど、その体験は体に刻み込まれます。

 

そのような身体、あるいは精神に刻まれ、以降なんらかの影響を及ぼしうる力を「トラウマ」と呼びます。

 

これは、ある意味でその方の人生における課題ともいえるべきものです。

 

オステオパスはこのトラウマを身体的な面から見て、その解放を試みることによって、その方がより自由に生きるための援助をします。

 

解放された体はどうなるでしょう?骨盤や脊柱はおそらくそろっているでしょう。関節も正常な範囲を取り戻します。

もしかしたら、何か心のつっかえになっていた恐怖感が薄れていたり、ということもありえるかもしれません。

 

こういう作業をオステオパスは行います。

この身体を整える作業というのは、簡単に言うといわゆるアライメント(骨格など身体を構成するものの位置関係)を整えることと似ています。

 

しかし、すべての臓器、神経、血管、組織を考慮してこの作業ができる人はおそらく少ないでしょう。その影響をみれても筋、骨格系までだと思います。

 

しかし、このアライメントを整えるという作業をこれだけつきつめると、本当にビックリするような効果が現れるのです。

 

重度歩行介助レベルだった人が次の週に来てみると、軽介助歩行レベルになっていたり、しびれなどの自分たちの範疇ではないと思っていたような症状が改善されたりと、施術した本人がその経過に驚くようなこともしばしばです。 

 

でも、これだけでいいかというとそうではありません。

 

ひとにはその環境に適応するという能力があります。

 

その適応したパターンはアライメントが整えられ、身体がかわったからといって簡単に変わるものではありません。運動のパターンをかえる作業が必要となってきます。

 

特にこれらの運動のパターンの不具合というのは、例えば永続的な後遺症(麻痺などのような)のを持つ人や長いこと痛みに苦しんだ生活をされた方などに多くみられます。

 

麻痺自体は組織が死んだことによって起こっていることなのでその影響による動きずらさなどは、完全にはなくならなりません。しかし、だからこそ間違った形での癖を直していく必要があります。

 

だから、オステオパシーによって、整えたからだに運動学習などのリハビリテーションや自主トレーニングなどのエクササイズの指導が必要になってくると考えています。

 

しかし、これだとリハビリテーションとオステオパシー別々にすればよいと思うかもしれません。

リハビリは外来で、整体はクリニックですればいいのではということになります。

しかし、私がそうではないと思っていいるのは、自分の経験としてオステオパシーでつちかった様々な能力がこの運動パターンを知る上で、動作分析をする上で大変役に立つからです。

 

オステオパスが持っている一部を触診して、全体を見渡す能力はその人の動作の特徴をより綿密に細かに知覚することができます。 片足に重心が移動している時に、十分に腹圧が働いているか?ひっかかりや制限がないか?

動作の特徴をより細かく理解することができるようになってきました。

 

リハビリテーションに携わる若いセラピストにとって、最大の疑問があります。

それは、自分のやっていることが、どこまでが自然に治っていることで、どこからが自分が介入したことによって良くなったのか?

 

自分はオステオパシーを学び、この疑問に自分なりの答えをだすことができました。そして、思ったのです。

オステオパシーとリハビリテーションは互いに両方必要であり、相乗しあえるものであるということを。

 

からだの治し方がわかっているから、必要な動きがわかり、人の動き方がわかっているから、その人の生活を阻害している本当の原因が理解できるのだと思います。

 

リハビリテーションは大分日本でも広まりつつありますが、オステオパシーは圧倒的に後進です。いつか、この二つがどの病院でもどの地域でも受けれるという世の中になっていければと思っています。

 

 

 

 

 人は母体に宿ってからさまざまなことをその体に宿し、そして自ら適応していきます。その適応の仕方には自分でも気づかないものも多々あるがゆえに、少し手助けが必要なのだと思います。それはこころの場合もいっしょです。さまざまな出来事に同時に心も適応してきます。そうやって感情のパターンもつくられていくのです。

 

人生でおきてきたさまざまな出来事を一旦受け止め(リリースし)、また違う環境(身体・環境)に向かって適応してく手助けをする。これってまさにリハビリテーションではないですか?

 

オステオパシーも、ありとあらゆる自然療法もリハビリテーションに含まれると思っています。 

 

それらの概念にはリハビリテーションも根本的には含まれるのです。だからどっちも欠けることなく必要なのです。