今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

2018年8月1日(水)


・ ねえお父さん

いつだったかなぁ。いやいや僕ははっきり覚えている。

サッカーで自分はブラジルへ行くんだ。

小学生の時にそんなことを話して、

なんかバカにされたようなことを言われた気になって、二階で泣いていた。

お父さんが二階にやって来て、

「まさるちょっと来い。」

「お父さんはお前の味方やぞ。」

そう抱きしめてくれたよね。

あの時のことは大人になった今でもはっきりと思いだせるよ。

でも、大人になった今はお父さんの立場も少しわかるようになった。

きっと本気で可能性を認めてくれていたんだね。

そして、きっと本気で腹をくくってくれていたんだと思う。

お父さん、ありがとね。

ねぇお父さん、

行かないでよ。

また抱きしめてよ。

ねぇお父さん、

ごめんね。何もできなくて。

ねぇ、お父さん。
                                       小林 克

2018年8月2日(木)


・ 素直

子供が大人みたいになってさ、

なんかあくせく考えて、

本当の想いはきっと違うでしょう?

上手いことなんてしなくていいし、

器用にする必要ない。

本当の気持ちは素直に表現したっていい。

せめて気づいてあげたらいい。

表現は色んな形があるんだから、

でも自分が置いてけぼりになったなら、

きっと気づくはず。

その苦しさを無視しないで。

子供なんだから。みんな。

今日もみてくださり、ありがとうございます。素直を思い出して。

                                       小林 克

2018年8月3日(金)


・ 楽しく、おもしろく

頭で考えたってしょうがない。

知性が発達しすぎた現代人は、何もかも自分で解決できると思っている。

でも、そんなことないよね。

いつだって最後は神頼みだ。

普段頼みもしないのにね。

1日1日が大切なことは、それを失ってみないとわからないのだろうか?

きっと、そんなことはない。

知性を正しく使ったなら、それを理解するのはわけないよね?

だから、楽しく、おもしろく。

その一瞬を大切に、扱う。

僕がそうすることが、きっと相手にとっても大切な時になるんじゃないかな?

未来を恐れなくていい。

過ごせるのはいつだって今しかない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今日の一歩をおもしろがって。

                                       小林 克

2018年8月4日(土)


・ きっと愛があった。

もらったものはなんだろう?

残ったものはなんだろう?

きっと、そこには愛があった。

愛してもらった。

抱きしめてもらい、一杯遊んでもらい、

一緒の時間を過ごすことができた。

叱ってもくれた。

笑ってもくれた。

励ましてもくれた。

きっとそこには愛があった。

それだけで十分だよ。

                                       小林 克

2018年8月7日(火)


・ 道のり

長い道のりがある。

それを旅しているんだね。

旅をしているんだ。

それを電気がついたり、消えたりして見ているんだよ。

どんな旅なんだろう?

目の前にくる出来事を電気がついてる時は見ている。

バーチャルゲームのように。

それが意識みたいなもの。

いいも、悪いもない。

生きているだけで素晴らしいんだよ。

その道のりを過ごしている。それだけで、十分なんだ。なにも、欠けてなんか、いないんだよ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。道を歩く。

                                       小林 克

2018年8月25日(水)


・ 一つ歳をとる。

おかげ様で僕も一つ歳をとった。

天国のお父さんはもう歳をとらないね。

老いていくお父さんの姿も見たかったけど、

仕方ないね。

年月がたてば、きっと僕もお父さんに近づいてきて、髪の毛も白くなって、お父さんよりお父さんらしくなるかもしれない。

お父さんには随分と甘えさせてもらった。

その恩はお母さんに返すね。

僕に、この世に生を与えてくれてありがとう。

こんなにうれしく思える誕生日もこれまでなかったよ。

                                       小林 克

2018年8月26日(土)


・ 悲しみで花は咲かない

悲しくないといったら嘘かもしれない

苦しくないといったら嘘かもしれない

一歩を踏み出すのに遅いも早いもないさ

踏み出すだけなんだから

今あるものに目を向けよう

何度他人に言ってきたか。

駆動力になりたいんだ。

何かを動かす力でありたい。

子供が悲しみで泣いているのなら、しっかり受け止めて笑わせてやれる人間でありたい。

愛する人が迷っているなら、その怖さを受け止め、しっかり背中を押してやれる人間でありたい。

自分に嘘なんてついてないよ。

本当にそう思うんだ。

悲しみが癒えるなんて嘘っぱちで、

苦しみが消えるなんて嘘っぱちだ。

その中を生きているだけなんだから、

それはみんな一緒なんだから、

僕はその駆動力になりたいんだ。

                                       小林 克

2018年8月31日(金)


・ 癒しとは何か?

人間とは不本意に生きることができないようになっているのだ。

不本意に生きた時、人はどうなるか?

簡単である。ストレスがたまる。

ではストレスとは何か?

不本意なのである。

ストレスとは本意に生きれない、自分への怒りだ。

じゃあ癒しとはなんだろう?

自分の道を歩むことへの許可なのだ。

自分の道とは人とは違う。

親とも兄弟とも違うだろう。

それでいいんだ。

                                       小林 克