今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイみたいなもの

2017年9月1日(金)


・こころとからだ

こころが生きるようにからだも生きる。

こころが閉じ、恐怖におびえ、不安にかられる時、

からだは固く、冷たく、ちぢまっている。

皮膚をなでれば、手は摩擦で止まり、骨を押せばカツンと硬く。

こころとからだは、つながっている。

こころが、生きるように、からだも生きている。

素直で明るい人、やりたいことがやれている人の体はスーッと通るような感触がある。

骨は弾力を持ち、適度な反発力を感じる。

根明であることがいい。

弱さを隠した明るさではなく、心から明るい状態が良い。

僕たちは様々な影響を受けて今この時代を生きている。

時代の空気や、文化、まわりの人たちの影響。

でも、自分の本当の明るさを作れるのは、自分以外にない。

助けも借りながら、

自分の世界を作る。心が生きる世界を。

今日もみてくださり、ありがとうございます。まず心がいきいきしていること。大丈夫。大丈夫。

                                    小林 克

2017年9月2日(土)


・個人、家族、社会

個人を根本的には、孤独であると、解釈するのは僕は基本的に好まない。

個人は、単位として個であっても、孤独とは少し違う。

僕たちの基本単位は個人だ。

親であろうと、子供であろうと、妻であろうと、個人という目線で見れば、自分の外側になる。

内観的な見方で言うと、この世界は自分の内か、外かでしかない。

でも、自分は、自分の内側だけが自分であるとするのは、外側の脅威を過剰に感じすぎてしまっているからだと思う。

外があるから内がある。

自分の肉体がもしなかったのなら、それは内しかない世界。

この世に生まれたということは、外と常に共にあるということだ。

基本単位が個であるのだから、変えることができるのは、自分の中しかない。

でも、僕たちは常に内と外がつながっている。外しかない世界は、僕のいない世界。そうではない限り、僕たちの内面と外側は常につながっている。

僕たちの意識は、自分、家族、社会の順で広がっていっている。

特に最も身近な外側といえる、家族はまさに自分の写し鏡だ。

内側と外側で常にある相互の関係性は、ひとえに、自分の変化、安定こそが外側の変化、安定の最も適した要因であることを証明している。

だから大きい意味でみたら、

個人、家族、社会は一つの単位。

実はオステオパシーでいう、

体、心、精神という単位の拡張でもある。

僕たちは常に変化のチャンスで満ちている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今の生活こそが、変化へのチャンスだ。

                                    小林 克

2017年9月3日(日)


・超感覚的体験

いわゆるフィールドとか、

場とか、

そういったものを感じるようになる人がいる。

そういう人はそこからさらに探求の旅がはじまるわけなんだけど、

本当はそこからが一番つらく、一番深く自分自身を見つめていく旅になる。

そして、そういう人ほど感覚的なものではなく、

理論で解する必要がでてくる。

艶美なその想像の世界の誘惑は、現実を一時見えなくする。

命の根幹をみるかのようなその感覚は、まるで神にでもなったか、それに近づいたかのような錯覚を起こすかもしれない。

そんな時、自分を現実に連れ戻してくれるのは、両親との絆だと思う。

そういう世界へ足を踏み入れた人は、考えることをやめてはいけない。

自分からでてくる全ての疑問に解するまで、考え続けないと、現実を見失ってしまう。

何も特別なことはない。

そうやって、学びに帰っていくこと。

自分自身を癒し、あるべき方向を知ること。

それが必要であることは、基本的に変わらない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分を知るために、そういう世界に入った。人を思慮深く支えるために、そういう勉強をしている。その評価や判断は、振りかざしてはいけない。

                                    小林 克

2017年9月4日(月)


・流れ

チャンスは前頭だけについていて、後ろ頭はハゲている。迷わずこれをつかめよ。

そんなことを聞いたことがある。

チャンスは色んなことであると思う。

人生の中で、まさに今がチャンスだ!という時は、あるのかもしれないが、その時、全力で取り組むことで、チャンスを逃さないという習慣がついていくのかもしれない。

チャンスは流れともいえるが、

広い意味でチャンスは、気づいたこと、といえるかもしれない。

気づいたらすぐ行うというのは、チャンスをつかむ練習でもある。

大きな流れがきたな、と気づくことができるかどうかも、またチャンスをつかむことには必要不可欠であるからだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
やってきたように、なる。ということだね。

                                    小林 克

2017年9月5日(火)


・現実は自分が作っている。

なんかうまくいかないな〜という時がある。

へんな争いごとになったり、

言われたくないことを言われたり、

何かが少しずつ遅れたり、

そんな時は、そういうことが起こるより前に、自分のメンタルなひずみがでている。

言われたくないことを言われたりなんて、

言われたくないこと=やってしまっているが悪いとわかっていること

なんだから、そもそもそれがあるということは、すでにやっているということだし。

争いごとになるのも、そういった出来事に防衛反応が起こるから。

当然本来過ごすはずだった時間をゆがんだメンタルで過ごしているのだから、何かは遅れ出す。

整理して考えると当たり前なのだが、

物質で考えてもそうだ。

想念は、物質である。

想うだけで何かに働きかけているともいえる。

だれたり、腹を立てたらそれは、誰かへ無意識の働きかけているのと一緒で、そんな自分に腹を立てた誰かによって、その想念が自分に返ってくる。

だから、いつもすっきりいるのがいい。

といってもそうとばかりは入れないので、どうしたらそう入れるか工夫しよう。

その方法は自分にしかわからない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分を積み立てるのだから。
                                    小林 克

2017年9月6日(水)


・気にしない。進む。

相手を変えるのではなく、自分を変えること。

相手を変えようとしても変わらない。本当には。

それは当然のこと。

自分だって、言われて変わったことはないはずだ。日常的には。言われて、心の底から、自分が納得しなければ他人によって変わることはない。それは、結局自分で自分を変えたのだ。

いつだって、そう。自分がチャレンジするから人は変われる。

何かを言われて自分を強制しようとするかもしれない。でも大抵の場合はうまくいかない。

そのシチュエーションでの行動が原因ではないからだ。

原因はもうちょっと根深いところにある。

なにかに引け目を感じてたり、負い目を感じてたり、なにか自分が気持ち良く過ごせない何かがある。

その気持ちを振り払い、気持ちよく過ごすこと。

嫌がらず過ごすこと。

そんなバランスが全体として場を安定させていく。

だから気にしないことだ。すっきり過ごすために、先に進むことだ。時間を追ってしか解決できないことがほとんど。

いっときのシチュエーションは本当の問題じゃない。勇気をもって進もう。やることがしっかりあれば、メンタルは安定する。

今日も見てくださり、ありがとうございます。本当の強さは、幅広い配慮でも、優しさでもなく、まっすぐ進む推進力と、さらっと流せる力。進み続けたらまた解決の機会はいくらでもやってくる。

                                    小林 克

2017年9月7日(木)


・ほこりとおごり

自分たちの積み立ててきたものに、自信と確信をもつことはよいことだ。

施術の現場では、その気持ちが施術を後押ししている。

でも、その自信、確信と謙虚さは常に同居していなければいけない。

知らないものがなくなることはおそらくないだろう。

絶対の共通項を学び、普遍的な事実を知ったとしても、それを現実へ降ろすためには、学び続けるより方法はない。

歩んできた道を尊重し、素直でいること。

これが施術家の誇りの本当のバランスだと思う。

誇りがいつの間にかおごりになっていてはいけない。

自分の持っているほこりを自分の承認欲を満たすことに使うとき、僕たちの誇りはおごりとなる。

自分の道を進めることに集中しよう。

それに素直になろう。探求できるところは、さらに良くできることはたくさんある。それに集中していこう。

その姿勢が新しい道をつくる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。きっとそれが一番楽しい。

                                    小林 克

2017年9月8日(金)


・バランスをとる

常に世界は二つの力の間で揺れている。

一つは不安

もう一つは晴れやかな心。

不安の反対側は、不安のない状態のことなので、状態をあらわす言葉はあっても、明確な言語がない。

不安の反対は信じることである。

信じるということは、実験では証明ができない。

不安の解消の先にあるものは不安である。

何かの根拠があるから、もてている自信なら、それが否定される事象がおこれば、それは脆く崩れる。

崩れない自信とは、ただ信じることだ。不安を持たないということ。信じれる感覚が得れるまで繰り返すことをやりつづけることだ。それは、目には見えない。

目に見えるところだけを追い求めても真の整合性は得られない。

不安の世紀だった。でもそれは、同時にテクノロジーを進め、流通をつくり、文化の交流を生み出した。

振り子はもう触れている。次の意識の世紀はすぐそこだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。本当の科学とは何なのか?あるべき方向性を見直すときがきている。
                                    小林 克

2017年9月9日(土)


・カメムシ

何かが飛んできた。

僕の襟のところにしがみつかれる。

「うわっ」とそれを叩き剥がした。

カメムシだった。

それから襟にカメムシの匂いがつき、

僕は常にその匂いが鼻につきながら帰宅した。

雑草の匂いをぐっと凝縮したような匂い。

調べてみると外から襲われたりなどがあると、防御として発するらしい。

ごめんね。

でも僕もビックリしたから。

帰ってから一生懸命襟を洗った。

だいたい疲れている時ほどこういうことが起こる。

そんな流れもあるよね。

今日もみてくださり、ありがとうございます。何の話かよくわからないけど、いい時も悪い時もみんながんばろう。

                                     小林克

2017年9月10日(日)


・五六市

今日は五六市に出店してきた。

青空のなか、意外に涼しく体験施術をさせてもらえた。

2年ほど前から出店できるときは、させてもらっている。

オステオパシーを口でいうのは本当に難しい。

他の整体と何が違うの?

マッサージと何が違うの?

言葉だけではなかなか伝わらないし、イメージがつきにくい。

なにせ医療者でさえも理解するのに時間がかかるからだ。

解剖の知識が圧倒的に違うため、僕たちが頭で考えていることを全て話すのは、逆に理解を遠ざける結果にしかならない。

少しでも、体験してもらうこと、その中で生まれる会話がきっと一番いいだろうと思った。

色んな方法はあると思うが、まず自分のできることからスタートする。そして、良いなと思ったら続ける。

いつも言っていること。

ぼくも同じようにチャレンジしている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。共に今日一日をより充実させれるように。

                                     小林克

2017年9月11日(月)


・スマートになんか生きれない

スマートに生きているように見える人も

必ず濁流に飲まれるような時を過ごしている。

濁流に飛び込んで、

そこをなんとかかいくぐってきたからこそ、今のその人を見た時、他にはないスマートな佇まいを感じるのだ。

感情に飲まれることや、

悪いパターンにはまってしまうこともきっとある。

しかし、そこでなんとかこうにか落ち着けるたびに経験値が広がっていく。

だからきっと良いことがある。

真の勝者とは、できるまでやめなかった人だ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。最後の言葉は師の言葉。

                                     小林克

2017年9月12日(火)


・妄想

怒りのパターンとして仏陀は三つ言っているということを知った。

一つは 欲求過剰からくるもの

一つは過去の怒りのエネルギーからくるもの

一つは妄想からくるもの

それぞれパターンがあるが、妄想からくるものは、その他二つとも深く関わるなと感じた。

妄想と言っていることに面白みを感じる。

その通り、妄想なのだ。

僕たちの頭の中には、たくさんの概念、価値判断が存在する。

それは文化からくるものもあれば、家からのもの、そして自分の人生体験からのものと様々だ。

でも、それらは妄想なのである。

現実とは遠く離れた自分の頭の中だけで進行する想像なのである。その価値判断にあてはめて、全然関係ないのに怒りがこみ上げてきたり、腹が立ったりなんてことがある。

妄想は現実ではない。

事実だけをみようとすること。

この心がけへの努力が自分を現実に戻してくれる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。本当に大切なことだよなぁ。

                                     小林克

2017年9月13日(水)


・今でこそ輝く

息継ぎできないくらいの忙しさ

試合中の窮地、

そんなピンチの時、正念場のときこそ人は自分の奥から出る力を輝かせる。

力は本当は底がない。

折れたってしばらくしたら忘れてまた立ち上がる。

あきらめたりネガティヴになっていたって、弱っていたってその奥の力は常に存在しつづけている。

自分のその気持ちが反転したとき、今だというときをひっそりと待って。

疲れたって本当はどうだろうか?

僕たちの奥にある生命力は生きている。

だから信じて待つことだ。

他人がとやかく言えることはない。他人は絶対大丈夫と待てばいい。

なにも考えないことだ。

だって大丈夫だから。

いつだって力は循環している。

今日もみてくださり、ありがとうございます。生きてる、それだけですごいこと。

                                     小林克

2017年9月14日(木)


・無心で

掃除は無心になることを心がけている。

汚れを拭き取るとき、

自分の落とした意識も一つ拭き取られる気がする。

だからひたすら掃除することは、僕の治療に向かうための大切な仕事だ。

汚いものほど丁寧に、感謝を込めて。

作業はなんでも無心に近い常態でやりたい。

皿洗いも、洗濯も、物を書いたり、準備したり。

それが心の準備。

やる作業のたびに、意識を洗うように行いたい。

それが仕事ということなのではないかなと思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そうやってする仕事は楽しい。

                                     小林克

2017年9月15日(金)


・いい笑顔

年をとった人のいい笑顔が好きだ。

自分も年をとって白髪が混じったとき、そうやって笑っていたいと思う。

この人いい顔で笑うなという人をネットでみつけるとスクリーンショットをする。

年をとればとるほど、一つ洗われ、二つ洗われ、幸せをしっかりと幸せと感じることができ、より無垢に笑っていたい。

楽しくあることも、幸せを感じることも、心を表現することも最初から簡単に行くものではない。

生きていくたんびに僕たちは経験を重ね、ある程度自分勝手に解釈し、自分で自分を苦しめていくところがある。

そんな経験をつむぎ、乗り越えていく純粋な心は、育てるのも保つのも時間はかかるもの。

だからこそ年をとるたびに、少しずつ少しずつ鍛えていく。

よく笑うじいさんでいたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。年をとることが楽しみと思えるのはありがたい。

                                     小林克

2017年9月16日(土)


・余暇

少しの遊びが僕たちの関節の自由度をあげるように、

少しの余暇が僕たちの仕事や、やるべきことに加速度を与えてくれる。

ギチギチに詰まった関節は動きを失うように

ギチギチの予定の中で、気持ちを常に入れ続けることは不可能なことだ。

日本人は休むのが下手だといわれる。

休む時は休むと決めて休むことが大切だ。

できるなら普段しないことをする方がいいと思っている。

脳のパターンを変えるのだ。

といっても危ないことや、突飛なことをするのではなく、

朝早く起きて散歩しよう!とか、コーヒーを丁寧に入れてみようとか。

当たり前にできるけど、普段は忙しくてできなかったなぁといったようなことだ。だから、そういうことはなかなか夜はできないかもしれない。

僕の自分への変化のスタートはだいたい朝だ。

だから夜は思い切って寝てしまえ、である。

今日もみてくださり、ありがとうございます。朝の空気は気持ちいい。明日は台風だけど。

                                     小林克

2017年9月17日(日)


・あのころは

最近日本の映画を見る機会があった。

「海賊と呼ばれた男」

「この世界の片隅に」

どちらも素晴らしい作品だった。

一つはあの戦争を生きた男性の物語。もう一つは女性の物語。

両方とも夫婦でみれたのは良かったと思う。

個人的に思うことは、

あのころのことは、できるかぎり想像して、

生きていた人たちの姿だったり、

戦った人たちの思いだったり、

世界の流れや、その歴史からくるものだったり、

何を人が紡いできたかをできるかぎり想像して、

あの時代を生きた人たちがやっぱり望んでいるのは、今が幸せであることだと思っている。

だからしっかりとこの地に立って、幸せに生きようと思う。

幸せはちゃんと見ないと見えてこない。意識しないと気づかない。

今の時代は、きっと自分と戦っていくのかもしれない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。気構える必要ないけどね。
                                     小林克

2017年9月18日(月)


・乗り越えていくこと

どの一日だって変わらないいつもの日常の1ページのはずなのに、

僕たちは今日が人生の分岐点かもしれないという日に巡り合う。

その時のドキドキは歯止めがなく、

そんな経験を、年をとったらそのぶんだけきっとしている。

穏やかな日もそんな日も同じ一日だけど、

そういう時を乗り越えて、僕たちは成長していく。

受験だってそうだろう、

就職だってそうだろう、

結婚もそうかもしれないし、子供との出会いだって

旅にでたりだってそうだろう。

思い出せば穏やかなだけで、けっこうそんな分岐点となる日は以外に多いかもしれない。

誰かにとっては分岐点でも、違う誰かにとっては大したことないことかもしれない。

そんなことに腹を立てたりしても仕方がないことだ。

とにかく楽しもう。ドキドキを。前向きにやれることこそ何よりの力だ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。信じること、を学ぶ。
                                     小林克

2017年9月19日(火)


・一歩踏み出すこと

最初の一歩は大きな一歩だ。

ここに行こうとか

これを始めようとか

あるいはこれをやめようとか

どんな形にせよ最初の一歩は怖さとともにある。

だけど、思い出してみるといい。

一歩踏み出せた時は、怖いとか考える間も無く、すでに一歩踏み出している。

一歩踏み出せたらあとは順調かというとそうではない。

だいたいもとに戻ろうとする力が働く。

慣性の法則みたいなものが、人生のエネルギーにも存在する。

そういったものをなんとか耐えて、気づいた時には、どうにか歩くことに慣れている。

だから考えず踏み出すこと。そして、うまずたゆまず進むこと。色んなものを引っ張って。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今日は昨日から進んだ一歩。明日へ進む歩み。

                                     小林克

2017年9月19日(火)


・一歩踏み出すこと

最初の一歩は大きな一歩だ。

ここに行こうとか

これを始めようとか

あるいはこれをやめようとか

どんな形にせよ最初の一歩は怖さとともにある。

だけど、思い出してみるといい。

一歩踏み出せた時は、怖いとか考える間も無く、すでに一歩踏み出している。

一歩踏み出せたらあとは順調かというとそうではない。

だいたいもとに戻ろうとする力が働く。

慣性の法則みたいなものが、人生のエネルギーにも存在する。

そういったものをなんとか耐えて、気づいた時には、どうにか歩くことに慣れている。

だから考えず踏み出すこと。そして、うまずたゆまず進むこと。色んなものを引っ張って。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今日は昨日から進んだ一歩。明日へ進む歩み。

                                     小林克

2017年9月20日(水)


・答えはあなたの手の中に

大切なことはいつだって、自分でわかっている。

答えは本当はもう持っているはずなのに、

多くの場合その答えにいきつかない

色んなものが邪魔をして、

過去の経験かもしれないし、

社会規範からかもしれないし、

自分の習慣からかもしれないし。

そんなものが自分の本当の思いさえ、見えなくなって、答えは持っているのに、そこに行く一歩さえ出させてなくなってしまっているかもしれない。

だけど、だから、焦らなくていい。

答えはすでに持っている。答えなんて、冷静に考えたらわかるくらいのあっさりしたものさ。

でも時が来ないとそれはわからないもの。

落ち着いて、整理して、準備して。

すると道は見えてくる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。来るべき時は来る。

                                     小林克

2017年9月21日(木)


・人に伝えること

セミナー講師を務めるようになってだいぶなる。

毎回のセミナーは僕自身も学びだ。

人に伝えることというのは、本当に学びがいのあるものだと思う。

情報は多すぎても伝わらない。

少なくても不十分。

人の考えとは生き物である。

何度重複して話すことが相手に響くわけではない。

相手が求めていた言葉とこちらの発する言葉が合わさって初めて響く。

セミナーをやるたびに提示する情報はどんどんシンプルなものとなっていった。

あとで見返して受け取るということはもちろんあるからもしれなが、その場で受け取ったものの印象には敵わない。

多すぎる情報は他の情報を薄める。

削ること。最後にしなければならないこと。

今日もみてくださり、ありがとうございます。新しいチャレンジをする。楽しみだ。

                                     小林克

2017年9月22日(金)


・話すこと

思ったまま話すということは、注意した方がいい時がある。

その情報は相手を傷つけないか?

相手をマイナスの方向に進めないか?

場を通じて感じながら話す。

少しの気づかいがコミュニケーションの場を円滑にする。

近しいものとのコミュニケーションほどこういう気づかいを大切にしたいものだなぁと思う。

口は災いのもと。

というように、ほっといたらとんでもないことを言っていることもあるだろう。

それは僕たちの欲からだ。他人に認められたい、他人より上に立ちたい、自分を弱く見せたくないとか。

自分の弱さを他人を介して埋めようとする癖がほっておいたら口の端々から顔を出す。

だから、一歩引いて相手ファースト。

それは同時に本当の意味で自分を愛することでもあると思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。さらに言うと、話すこと以上に、聞くこと。

                                     小林克

2017年9月23日(土)


・心と体

心と体はつながっている。

多くの場合、体がしんどい時、あるいは心がしんどい時、心と体の関係は悪循環の相関に入ってしまっている。

逆にすごく良い時は、心も体も良くなろうという方向に一致しているときである。

一度のセッションで全てが良くなる人は、だいたいすでにその準備がある人だ。

それは触れるとわかる。

心と体。相互に関係を持つが、先行するのは、心だ。

大したことがないと思うような心の葛藤も、

取り出すことはできないが、すべて記憶には保存されている。

だからこそすっきりと生きれるかは本当に大事なこと。

心が晴れれば、健康は後からついてくる。

使う言葉、過去のパターンと離れること、毎日の感情を洗うこと。

体を保つより、心を保つ方が難しい。

でも、一つ一つをちゃんとやることで、肉体だけでなく、人生そのものが変わっていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。なにをするかではなく、どうあるか。

                                     小林克

2017年9月24日(日)


・朝

朝の暗い時間が好きだ。

あと数時間もたてば日が昇り、爽やかな風が吹き出すその前の時間。

静かな暗やみの時。

ひっそりと考え事をしてもいいし、

1日の中でやらなければならない作業を一足はやく開始するのもいい。

なんとなくだけど、1日の余白みたいな時間。

暗くて、静かで、間接照明の光で落ち着いている。

きっと人生の中でも、そんな時を過ごすことはあるんだろう。

この時間はそんな予行演習。

今日もみてくださり、ありがとうございます。子どもたちの寝息が聞こえる。

                                     小林克

2017年9月25日(月)


・自分で考えること

僕はまず情報が入る前に自分で徹底的に考えることを信条としている。

基礎的な知識の備わった医療者であり、

オステオパス、理学療法士としてしっかりと経験をしてきた。

誰かが考えれることは、自分も考えられるというスタンスは、

一人の独立した、自立した医療者として必要なことだと思っている。

目の前にいる患者さんを治せるのは自分しかいない。

どこかの講師だろうと、神の手を持つ医師であろうとそれは不可能だ。

その思いは学生の実習時代からずっと一緒だ。

だからまず自分で考える。

それが本当の客観的思考を育てる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。それも仕事のひとつだと思う。

                                     小林克

2017年9月26日(火)


・ふと思いつく

発想というのは、天から降りてくるものだと思っている人がいる。

そういうスーパーな人はいるかもしれないが、多くの場合はそうではないと思っている。

ひとつひとつ考えていたことがやがて意味を持って繋がっていく。

そうやって新しい考えが浮かんでくる。

その時は分からないことが多いかもしれない。

その学びの本質を理解するには、時間がかかる。

でもそれはやがてあける。

発想とはゼロから1を作るものではなく、小さな0.1を積み重ねた結果作られるもの。

その小さな0.1のヒントは絶えず日常にある。

だから僕たちは日々成長できるんだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。結論は必ずくる。だから日々の0.1を積み立てよう。日々の面白いや気づきに敏感になろう。

                                     小林克

2017年9月27日(水)


・新たなチャレンジ、ドキドキ

新たなチャレンジは大きな波に乗ろうとすること。

そして、そんな大きな波の中でも、フラットに、バランスをとっていることだ。

例えばより大きな責任を負うとかはまさにそんな感じだ。

親になるというのもそうだし、夫婦になるというのもそうだろう。

ひとつ上の役職につくというのもそうだろうし、

言ってしまえば新たな目標を真剣に持つというのも、大きな波に飛び込むことだ。

新たな目標とは、未来に自らが背負う責任でもある。

自分で乗る波を決め、自分でそこに行き、その波に突っ込む行為が目標を真剣に持つことだと思う。

できるならそういうふうに生きたいかな。

どんな生き方も素晴らしいし、やることはバランスをとってフラットでいることだから、本質は変わらない。

自ら選択するというのも難しいことだ。

自分で自分の退路を断つことでもある。

そのかわり波に乗ったら乗りやすいかもしれない。

そうやってバランスをとっている過程はドキドキするものだ。

新しいバランス、普段はない揺れ。

今生きてるから経験できるものでもある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。楽しめ!ということだろう?
                                     小林克

2017年9月28日(木)


・やりきる

やりきる。

ということの大切さを僕は大学の部活動で学んだ。

どんなことも最後の最後までやりきらなければ何の評価もできない。

中途半端なまま終えたのなら、それはやったことにはならない。

芸出しだろうと、ダッシュだろうと、自分がここで終わりだというところまで走りきらなかったら、やったことにならないのだ。

それが面白いか、優秀か、役に立ったかなんて、二の次だ。やりきらなかったら、「惜しかったね」も「よくやったね」もない。

それは、その時より10年も経った今、よりしみじみ感じる。

一見無駄に思えることも、やりきってみると見えてくるものがある。

一見無謀に思えることも、やりきってみるとできることがわかる。

未来なんて予測できないのに、やらずじまいになっていることがいかに多いことか。

新しいチャレンジには、不安と逆風がつきものだ。

結果を考えず、全うすることに集中したあの時の感性が今役に立っている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。無駄なことは一つもない。唯一あるとしたら、自ら捨ててしまったことだ。

                                     小林克

2017年9月29日(金)


・皮膚感覚

皮膚というのは、人の最も優秀な器官だと思う。

私たちは皮膚を通して外と内を隔てている。

外を感じるとしたらそれはまず皮膚だ。

皮膚の感覚というのは、無限の精度を誇ると思っている。

機械が感知するもののはるか上をいくことができる。

皮膚感覚を高めるものは、その感覚への認知と解釈である。

おそらく僕たちは感じているけども、解釈し、認知できていない感覚が山ほどある。

つまり私たちはそれがなんなのかを知らなければ、感じていることに気づけないということだ。

逆にいえば、知ることができたなら感じることができるということだ。

それは科学のはるか上をいく。

何かの空間に入った時、感じる違和感。なんとなく感じる皮膚感覚は嘘ではない。

だけど、大切なのはそれが何か理性的に考え、理解すること。

それによって感覚は初めて意味を持つ。

セラピストというのは、これをやっているのだと思うのです。

今日もみてくださり、ありがとうございます。その優秀さは、きっといつか多くの認知を得ると思う。
                                     小林克

2017年9月30日(土)


・いらいら

いらいらという苛立ちを私は感じたことがないという人はいないかもしれない。

イラッとくる時、

だいたいの場合は、イラッときたのはわかっても、じゃあ具体的に何にイライラしているのかを即答はできないものだ。

あとで少し落ち着きを取り戻して、はじめて僕たちは何に苛立ったのかを理解するようになる。

大抵の場合は、現実と理想の相違だ。

ただこの場合は、理想ではなくほとんど妄想である。

僕たちは知らず知らずのうちに、自分たちの、感情の感度を上げている。

やろうとしたことができなかった、数日前こんなことがあった。仕事が成功しなかった。

色々ある日々の出来事は、僕たちの頭の中に確実に残っている。その時経験した感情は終わりではない。ホコリのように頭の中に残って、次の反応の感度を上げている。

やがて知らないうちに閾値に触れ続けている感情の感度は、何気ないことで苛立ちへと発展する。

何かあった時、きちんとリセットすること。これが感情生活の波を逆らわずに生きる一つの方法である。

リセットする方法はいくらでもある。いわゆる瞑想でもよいし、心理の知恵を借りてもよい。投影という方法もある。皿洗いや床掃除を通して、その汚れが自分の残った記憶と見立てて、自分がリセットするためにそれを行うのだ。

気付いた時には集中していて、何かよくわからないが、すっきりしている。

何かよくわからないのはその通りで、感度を上げている残った想念は、自分でもあまりよくわからないのだ。集中してその思いをさぐらないと言語化は難しい。

感情というのは、人間らしさの一つでもある。だからこそしっかりと、対応していきたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。きっと明日はもっと、よく生きれる。

                                     小林克