今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

2017年5月1日(月)

 

・だれも悪くない言い合い

医療の中なんて、不確定なことだらけだ。

見る人が違えば、見てる視点も違い、

誰かが主張すれば、異論もでてくる。

確定しないことだらけだ。「ケースによる。」

こればかりである。それが多くの場合、現状だ。

なのに、何かを決めねばならず、

仲間は守らねばならず、

そうやって、役割を決め、

職域を決め、職域を守り、他方を退ける。

法という単位でも、地域という単位でも、現場という単位でも、

みんなこれだというものを主張し、

意見は食い違い、

言った方も、言われた方も腑に落ちない。

だれも悪くない、そんな言い合いがある。

みんな人のために考えてるし、

みんな全力で考えてるし、

同じ人の、色んな側面を見ているだけなのに。

そんな誰かのための、不可思議な言い合いがなくならないのは、

道のりがないからだろう。

こうしたら確実に良くなるという答えが、ないからだろう。

だから、一番国々で力を持った医療がいまの主流になる。

答えがないからだ。

こうしたら、幸福になる。こうしたら、健康になる。治らなかったもの。後遺症。全てが良くなって行く。そう言える方法がないからだろう。

大差のない一つの検討不十分な論理しかないからだろう。

だったら、それを目指すしかない。

主張を繰り返すのではなく、そこに至れるよう、積み立て続ける。それが一番優しい方法じゃないか?

それが一番誠実な方法じゃないか?

気付いた人、考えている人しか、その権利は与えられない。

だから、歩みを止めず、迷いを捨てて、進むしかない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。証明したいんだよなぁ。絶対。みんな傷つくのは、もう嫌だよなぁ。
                                             小林 克
          

2017年5月2日(火)

 

・手による医療

手による医療は、チャレンジの医療だ。

ひとによって、効果が変わり、

施術家によっても、大きな違いが出てしまう。

だけど、本当に大切なことをしている、唯一の可能性を広げる医療だと思う。

本当に必要なものは、薬だろうか?

本当に人を癒し、病を退けさせ、生きる力を与えれるのは、直に触れるその温もりと、想いな気がしてならない。

それを医療の中で担っているのは、リハビリ職員達だと思う。
 
リハビリを担う人間は、医療の中ではつらい立場だ。

自信を持って、自分たちのやっていることを主張しにくいだろう。

一定の成果を求めると、確実と言えるものなんてない。

それでも、少しでも可能性を伸ばそうと、考え、考え、チャレンジする。

時には、必要性について、頭ごなし否定され、

宣伝力の差から自分たちよりもロボットの方が優秀な風に書かれ、

歯がゆい想いをずっと、奥歯噛み締め生きてきたと思う。

平たく見て、数値にでなければ、否定される世の中だ。個々人をちゃんと見て、悩んで、取り組むこと、チャレンジすること、これをやめたらもう、後に何が残るか?
 
決着をつけなくては、いけない。

奇跡という名の現象で。

50歩100歩でいていられない。

進め続けよう。空想じゃなく、結果を追おう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。負けられない戦いだ。すべてにとって。

                                             小林 克
          

2017年5月3日(水)

 

・竹原ピストルという脅威

まいったなと思った。

男にしかわからない気持ちがある。

男にしかわからない強さがある。

男にしかわからないかっこよさがある。

痛みを飲み込む。

覚悟を持った男が、痛みを飲み込み、吐く言葉は、もはや生き様だ。

男としての一つの完成形がある。

このかっこよさは。

男としての、純粋さ。それは、突き進む力だ。しがみつく力だ。謙虚で、素直で、純粋で、恐れない。

自分の火は、自分の内側で燃やせ。

敵を間違えるな。敵は外にはいない。自分と、自分の生きる道にある。

歩めるのは、自分の道。愚直に、愚直に進んで行く。

結果は過程。一日一日が始まりであり、一日を純粋に進めていくこと。

それが男のかっこよさ

今日もみてくださり、ありがとうございます。
いい大人だろ?
いい大人だろ?
お前もう、いいかげん。
あきらめんじゃねぇぞ。

                                             小林 克
          

2017年5月4日(木)

 

・礼あれば返礼あり 礼と返礼の法則

礼と返礼の法則は、オステオパシードクターのフルフォードが、この世界にある振り子の原理、現象を拡張する形で、捉えた法則だ。

愛をおくれば、それはめぐりめぐって帰ってくる。

逆に、何かを奪おうとこころめば、めぐりめぐって、自分の何かを奪われる。

ものごとは、まるで自分の鏡のようだ。

僕が見るように、世界は僕を見ているし、

僕がするように、世界は僕にしてくる。

どこかそれに対しての認識は、甘かったなぁ。

と、反省する。

なんとなく、安易に考えているところがある。

立派なだれかがいると思っていたり、素晴らしい世界、社会があると思っていたり、何かどこかに素晴らしい、自分を超えたものがある。そんな気持ちがどこかにある。

そう、まるで「親」をみるように。

でも、それは成人してからは少し違って、

一人の大人になってしまえば、それは対等なんだ。

自らの足で立つとは、そんな世界にたった一つの、他でもない自分だけの根をおろすということ。

どんな立派な人も、神様のように思える人もいるわけではない。もし、そんな人がいるのなら、それは、そのようにその人が1日、1日、世界に与え続けてきたからだろう。

でも、それも関係ないのだ。あくまで鏡で。あくまで振り子。そんな人でも、

僕が見るように、僕を見ているし、

僕がするように、僕にする。

それは変わらないのだ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。僕がどう生きるかは、僕の心次第。僕の行動次第。毎日死んで、毎日生まれる。そんなつもりで今日も生きよう。
                                             小林 克
          

2017年5月4日(木)

 

・礼あれば返礼あり 礼と返礼の法則

礼と返礼の法則は、オステオパシードクターのフルフォードが、この世界にある振り子の原理、現象を拡張する形で、捉えた法則だ。

愛をおくれば、それはめぐりめぐって帰ってくる。

逆に、何かを奪おうとこころめば、めぐりめぐって、自分の何かを奪われる。

ものごとは、まるで自分の鏡のようだ。

僕が見るように、世界は僕を見ているし、

僕がするように、世界は僕にしてくる。

どこかそれに対しての認識は、甘かったなぁ。

と、反省する。

なんとなく、安易に考えているところがある。

立派なだれかがいると思っていたり、素晴らしい世界、社会があると思っていたり、何かどこかに素晴らしい、自分を超えたものがある。そんな気持ちがどこかにある。

そう、まるで「親」をみるように。

でも、それは成人してからは少し違って、

一人の大人になってしまえば、それは対等なんだ。

自らの足で立つとは、そんな世界にたった一つの、他でもない自分だけの根をおろすということ。

どんな立派な人も、神様のように思える人もいるわけではない。もし、そんな人がいるのなら、それは、そのようにその人が1日、1日、世界に与え続けてきたからだろう。

でも、それも関係ないのだ。あくまで鏡で。あくまで振り子。そんな人でも、

僕が見るように、僕を見ているし、

僕がするように、僕にする。

それは変わらないのだ。

今日も見てくださり、ありがとうございます。僕がどう生きるかは、僕の心次第。僕の行動次第。毎日死んで、毎日生まれる。そんなつもりで今日も生きよう。
                                             小林 克
          

2017年5月5日(金)

 

・自分を幸せにできるのは、自分だけということ

「自分を幸せにできるのは、自分だけ」

そんなことが言われる時代になった。

自分にポジティブなことをしてあげること。

自分をより大切にすること。

自分にも優しくすること。

自分というのは、何かとめんどくさくて、うまく処理はできなくて、言いたくないこと、思いたくないこと、色々に引っ張って生きている。

自分を幸せにできるのは、自分だけ。

世界は鏡を見ているようで、

自分が世界を見るように、世界から見られ、

自分が世界にするように、世界からされる。

だから、自分に帰ってくるものを変えれるのも、

また自分だけ。

世界に対して、笑ってみよう。

世界に対して、ありがとうと言ってみよう。

世界を肯定的に見てみよう。

もし、それに違和感を感じるのなら、まずは、自分を大切にしてみよう。

全て自分のせいなのか。

そう思ってしまうのなら、まずは、自分の食べたいものでも、食べてみよう。

だぁれも、悪くはない。

自分で、自分を大切にするのは、深く、深く、難しいこと。ものごとには、深さがある。

これは、言葉では決して伝わらないこと。

今日も見てくださり、ありがとうございます。まずは、直感的に感じることをしてみよう。本当はどうすれば良いか、知っているはず。

                                             小林 克
          

2017年5月6日(土)

 

・積み上げてきたもの

積み上げてきたもので、戦っても勝てねえよ。

積み上げてきたものと、戦わないと勝てねえよ。

            「オールドルーキー」竹原ピストル

ゴールが大切なのではない。

到達することが大切なのではない。

ただ、ただ今日も一歩進むということが大切。

その過程が大切。

巡礼の旅にでたある方から聞いたことを思い出す。

手による施術も似ている。

一人、一人構造も、状態も違う。

症状も、病状も違う。

その人にとって、最高の状態へ。

一歩、一歩進むこと。

結果を追い求めることは、何より大切なことだが、

結果を生むためには、結果を追い求めないことが大切であるという矛盾。

そのバランスを常にとりながら、

常識を超えることに、チャレンジしよう。

今日も、明日も、明後日も。

今日も見てくださり、ありがとうございます。妥協なく進めることも大事。少し立ち止まってあがることも大事。どっちも大事なのは、気持ちなんだろう。
                                             小林 克
          

2017年5月7日(日)

 

・シンゴジラをみて、むせび泣く

こんな表現があったのかと。

明らかに遅い、シンゴジラの鑑賞。

庵野監督流の、冷静な表現と、熱いメッセージに、思わず目頭が熱くなった。

事実だけみたら、何か信じきれない未来も、

きっと大丈夫だと、やればできるはずだと、そんなことが思えた。

当たり前と思っていることは、実は当たり前じゃない。

当たり前の背後にある、当たり前じゃない努力の上に、自分の人生は支えられている。

自分の人生を、生きることは、簡単なことではない。

そんな簡単ではないことを、毎日過ごさせてもらっている。

わくわくという感覚とは、少し違う、ありがたさと、希望を僕自身も感じながら。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今日という日に感謝だなぁ。

                                             小林 克
          

2017年5月8日(月)

 

・背負って生きたらいい。

「一回きりの人生、自由に生きよう。」

「自由」ってなんだ?

「好きに」生きることか?

自分勝手に生きることか?

やりたいことして、生きることか?

「人は生まれながらに、皆自由である。」

その通りだと思う。

「自由」にしていい。自分勝手に生きてもいいし、やりたいことやって生きてもいい。でも、その後に来る責任もまた事実だ。

もちろんそれさえ自由だと思う。

でも、そうなってくると、少なくとももう僕は気持ち良くはない。

自由に生きていいのなら、喜んで関わる道を選ぼう。

辛い方を選択して生きていると言われる。

それでいいと思えたら、もうそれは「自由」だと思う。

「自由」かどうかは、あくまで個々人の心の中。

だから背負って生きたらいい。十分自由だ。

短いスパンでみたら、悲劇でも、長い目でみたら人生は喜劇だよ。

あら、チャップリンの声が聞こえた。

今日もみてくださり、ありがとうございます。「ええんちゃうか。まぁ大丈夫。」これでいいと思う。頻回に使う、あまり理解されない言葉。

                                             小林 克
          

2017年5月9日(火)

 

・体と向き合う人

オステオパシーは、体の構造に対してアプローチするものです。

スティルは、ありとあらゆる症状に構造としての異常があることに気づき、この分野を突き詰めていきました。

ひたらすらに骨を触り、どうあれば骨は正常であるのかを自分の体を通して理解しました。

そして、解剖への膨大な知識を深め、骨を通して、ありとあらゆる組織、神経や血管や筋肉、臓器が関わりあって、人間は生きていることを確信しまします。

ものごとには、よくよく理性的に考えると、因果の関係があります。

症状は、意味なくでてはおらず、

まわりの細菌たちも常にいるのに、その時に症状として体が反応しだしたのは、やはり意味があり、

やはり私たちの体の方がなんらかバランスを崩したことによって、まわりとの関係が悪くなったと考えるようになります。

「機能は、完全な構造の上になりたち、免疫もまた完全な構造の上になりたつ。」

構造というのは、おおまかに言うと骨の位置や、そのずれに伴う神経や血管、臓器の位置の変化、関係性の変化、摩擦や圧迫などのことを言います。

体には、そういったものが多く存在します。

体と向き合うというのは、色々な意味がとれると思いますが、オステオパシーはまさに目に見えて、手に取れる、確実な体と向き合うものです。

色々な生理機能は、予想で成り立っている中、一番確実と言えるものに焦点を当てていること。

これが一つの特徴であり、僕自身も支持する理由の一つです。

今日もみてくださり、ありがとうございます。オステオパシーはやっぱいい。

                                             小林 克
          

2017年5月10日(水)

 

・頭で考えると意外とうまくいかない。

リハビリの歩行練習で言うと、ある時からあたまで考えて動くということをストップしなければいけない。

最初は、できる限り正確な運動をする必要がある。

だから、こちらがガイドしながら、感覚的に理解してもらいながら、正確な運動を経験する。

臨床経験的には、理屈もある程度イメージした方が、どうやら最近は、感覚も得やすいようだ。

だから、極力わかりやすく端的な形で理解もしてもらう。

だけど、ある程度スムーズに動き出せるようになると、そこからさらにスムーズにテンポ良く動くためには、理屈は捨てないといけない時がくる。

普通は、そんなものは考えずに歩くためだ。

あまり考えないという状態にのせるのは、工夫がいる。

このあまり考えないというのは、生きることにとっても大切な気がしていて、

僕自身も大切にしたいと思っている。

何かあれこれ考えようとした時、表にでてくるのは、感情だ。そして、それに気づかずに思考をつづけてしまう。

そうすると、それは自分のトラウマで狭められた決断となり、理性的な判断から遠ざかるものとなる。

考えずに一歩踏み出すのも、何か良くにていて、自分の感覚を信じ、これまでの経験と練習と体を信じ、前に進む。

つくづく思うのは、リハビリでの体の成長の過程は、体だけではないということ。運動というものを通して、今まで経験しえなかった、考え方、自分を信じ、自分に関心を向けて、そして、前に進んでいく、そんなものを一緒に経験している。
そんな気がする。

きっと、以前よりも輝く人生がある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。体も心も確実に積みたっていく。経験を積んでいく。体を通して。心を通して。

                                             小林 克
          

2017年5月11日(木)

 

・何か起こった時は、何かが変わるチャンスだということ。

20代ではわからなかったことがある。

経験というものがなければ、理解しにくいことがある。

繰り返し、繰り返し経験しながらも、少しずつ違う現象も、

だんだんとああこういうことだったのかとわかることがある。

何か起こった時、それは同時に何かが変わるチャンスでもあるということ。

もしくは、

それを口火に、違う経験をする可能性を秘めているということ。

潜在的にわかっているのに、なかなかできないことがある。

何か癖付いてしまっているようで、

何か弱さがまとわりついてしまっているようで、

変に言い訳して、変に意固地になって。

そういう古く、年単位で付き合ってきた心のパターンや、習慣は、変えるのに少し刺激がいることがある。

なぜだろうか?

そういう刺激は、あまり作為的に作れるものではない。

きっと、自分も環境もお互いに慣れて、うまくいってないんだけど、それなりにやれてしまっているのだろう。

だけど、そういうことは、何かしょうもないことかもしれないが、些細なことでその安定を失う。

そんな時、ようやくその古いパターン、馴れ合いのパターンから抜けれるのだろう。

新たな道も見えてくる。

新たな道が見えてくると、とたんにそっちに目が行ってしまうから、なかなか20代はわからなかった。

年を一年一年とっていく。

それは、なんて素敵なことか。

一つ一つ積み重なっていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。何か起こった時、変わるためにも、今の一つ一つの行動、心持ちは、やっぱり大切だなぁ。そう思うと、どんな出来事も、一場面。

                                             小林 克
          

2017年5月12日(金)

 

・癒すこと

泣いたり、笑ったりして生きるのが人生だ。

山あり、谷ありが人生。

抑え込んでいるかもしれないけど、感情の起伏があるのが当然だし、

恨みも悲しみも楽しみもうれしさも

なんにもなく生きることなんて、誰にもできない。

感傷的になっている時、なにかに怒り狂っている時、

そんな不快な感情をなんとかしてくれるのは、

もしかしたらある時は音楽かもしれないし、

ある時は漫才かもしれないし、

ある時は話しを聞いてもらうことなのかもしれないし、

ある時は似た境遇の人の人生を知ること、あるいは、施術、あるいは作品作り、あるいは、忘れてしまうこと

かもしれない。

それらは、すべて癒しと言ってもいいと思う。

人生というのは、実は、自分としか戦ってない。

社会と戦っているつもりでも、現実、そういう構図になっていたとしても、あがいているのは、もがいているのは、自分自身で、自分とも戦っている。

でも、そんな自分との戦いをやめたら、それは、もう戦ってはいないんだろう。

社会とも、他人とも、ただそのしごとを楽しく、喜んでやっているだけだ。

癒すことは、ここまでいって癒すこと?

だれも不幸は望んどらん。

その温もりとは、つながっとけ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。ささくれても、根っこのところは、暖かい。

                                              小林 克
          

2017年5月13日(土)

 

・心にもないことを言ってしまう。

今を生きる多くの人は、皆ある部分では傷ついた人なのかもしれない。

その記憶は、小さき頃なのかもしれないし、社会にでてからなのかもしれないし、何かしらの癒えきれないものを皆感じているかもしれない。

多くの場合、記憶にないこともある。

ぼやーっと感情だけが残っていることもあるだろう。

少年から青年になっていく頃、

子供ながらの純粋さは、色々な嘘を見抜く。

そこで生まれる感情は、怒り、憎しみ、苛立ちで表現されるかもしれないが、その本質は、寂しさであり、悲しみだ。

本当は、そうではなかって欲しかったのに。

信頼と、愛情があるからこそ、そうではないこと、嘘があることが許せない。

信じているからこそ、大好きだからこそ、

大嫌いなのだ。

そんな思いもはれないまま、大人になって子供ができて、みんな初めて知るのかもしれない。

大人も、子供だったのだと。

自分の気持ちなんて、全然整理できないし、本当は、心の底ではこうしたいってあっても、全然違うことをしてしまう。

感情に流され、記憶に流され。

衝突があった時、本当はみんな心の中では、ごめんねと言っている。

感情的な行動を、とりたくてとっているわけではないのだ。

でも、そんなこともいつの間にか、わからなくなってしまう。

親もまた、他人もまた、みな同じだった。

そこに気づいた時、はじめて、自分の中で一部だけ止まっていた時計が動き出す。

言いたいことなんて、言えてないのだ。

やりたいことなんて、やれてないのだ。

つながってないと思ってたものは、実ははじめからつながってたんだよ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。人には、かならず良くなろうとする力が働いている。体にも、心にも、自然治癒力はある。

                                              小林 克
          

2017年5月14日(日)

 

・イマジン

想像すること。

これが何においてもまず最初だ。

今日の予定を想像する。

作品の姿を想像する。

未来の姿を想像する。

良くなる姿を想像する。

あそこのビルも、あそこの道も、一番初めは想像されたものだった。そして、日々の建設作業の中で、作業員の方々の頭でめぐらせ続け、それをもとに手を動かし続けた結果が、あそこのビルに、あそこの道になっている。

僕たちは、想像の中を生き、そして、自ら想像することで、自分の生きる世界を作り上げている。

この想像することの重要性は、

オステオパシーをする人間にとっては、身にしみて理解されるところだと思う。

どれだけ、体の状態をイメージできているか。

そして、それをどうして行きたいか。

それらを具体的に施行していくのがオステオパシーだ。

この行程は、すべての作業に共通すると思う。

できるだけ具体的に。できるだけ現実的に。しかし、ポジティブに。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そんな風に想像しよう。今日という日を。


                                              小林 克
          

2017年5月15日(月)

 

・賢人は歴史から学ぶ

「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」

ビスマルクの格言だ。

意味は少し違うかもしれないが、おなじような立場で、チャレンジし、積み立ててきた経験とは、自分にとって本当に参考になるものだ。

自分だけの経験は絶対なものだけど、多く参考になるものが、歴史や他人からもある。

京都の人が、京都の歴史を語る時、それは幕末から始まる。

そういった未曾有の窮地に至った時、どうそこに生きる人たちが、判断し、決断し、行動したのか。

その生き様の一つ一つが印象深く語られ、多くの人たちの参考となり、次の人生の支点となっていく。

そんな歴史の営み。あるいは、個々人の中の歴史の深みの凄さを、まだまだ若輩の自分としては、ヒツヒツと感じる。

それもあって、京都の人が語る、歴史の参照点とその当たり前の文化の深さに、笑えない脅威を覚えた。

それだけ積み立てられた、自分の知らない歴史がこの国にはある。

積み立てられた歴史、経験は代えることのできない価値がある。

深みと強さをそうやって、積み立ててきた先人たち。

ありがたく参考にさせていただき、自分「勝手」に決断していきたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
そこにずっといないと知らない歴史があるのだな。授業じゃ、そりゃあ習わないよな。

                                              小林 克
          

2017年5月16日(火)

 

・予定

施術のあとは、次の予定を手帳に書き込む。

次の予定、次の予定と書き込んでいたら、

何か月日が流れるのがえらく早い気がしていた。

5月かと思ったら、もう6月のことを話している。

なんとなく、はやく流れる気がしてしまうのは、思い込みだということに気づいた。

そして、

こう考えることにしている。

最高のなりたい未来がそこに待っている。

次に書き込むのは、そんな予定だ。

そう捉えると、

月日の流れは、むしろポジティブだ。

年をとると、より月日が流れるのが早く感じるという。

重ねる年の度、そういった早い月日の流れを心待ちにしていたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。朝目覚めた時に、嬉々としている。そんな目覚めも今日の考え方の集積。
                                              小林 克
          

2017年5月17日(水)

 

・質、質、質

一つのタッチの質。

患者さんの身体の改善にどうコミットするか。

コミットする自分のイメージは、純粋か。

目標設定は現実的かつ理想的か。

タッチ、イメージ、頭で思い描くこととタッチで感じることがどれだけ具体的か。

正常に持っていくイメージは具体性と正確性があるか。

患者さんの場に入るときの自分の心境。

ポジティブなイメージはあるか。

集中できているか。

質。質。質。

質を上げて、上げて、上げて。

自分の意志で質は変わる。勉強だけではない。

質。質。質。

一つの施術に。一つのタッチに。一つのイメージに。

質をあげよう。質をあげたい。

9割ではダメ。10割に達するために。

施術の場は、完成された提供の場。

でも、同時にチャレンジの場でもある。

それがオステオパシーだ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。同じことが、同じなんてことは、実際にはない。だからこそ、ステップアップでいたい。

                                              小林 克
          

2017年5月18日(木)

 

・一つ一つを丁寧に生きる

気付いたことがある。

皆に向けて、力強く雄弁できる人は多くの人を惹きつける。

強く発信できる人は、多くの場合リーダーのような振る舞いに見える。

そのような人には強いエネルギーを感じるのだ。

でも、

気付いた。

静かに主張はしなくとも、日々の一つ一つを丁寧に重ね、何か言いようのない安定感、安心感を持つ人がいる。

そういう人は、穏やかな魅力を感じる。

心に棘も、劣等感も起こらない

暖かな魅力だ。

そういう人は、さらに一段強いエネルギーを感じることを。

安心しているのは、確信し、実践しているから。

にこやかにいれるのは、それだけ強いから。

その強さは、与えられるものをちゃんとうけとり、そのもらったものを無駄に使うことなく、重ねてきた強さだ。

誠実という強さ。素直という強さ。

一つ、一つを焦らず、喜んで取り組んで。

一つ、一つがくれる幸せをちゃんと受け取って。

自分の力だけではなく、みんなが当たり前に受け取れるはずのものだったものを、長年ちゃんと受け取って。そして、送り返して。

そんな循環の中にある人は、誰よりもエネルギッシュだ。

そんな日々のやりとりにこそ、医療のゴールへのヒントがあるんじゃないか?

そんなことを思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。まず、自分がそう生きたい。本当に大切なのは、自分の人生を生きること。それは何か大層なことをイメージしてたけど、ただ日々の生活こそが自分の人生であることに気付いた。
                                              小林 克
          

2017年5月19日(金)

 

・「強さ」は「弱くないこと」ではない。

みんな弱い人間だ。

弱いから頼れる。

弱いから感謝できる。

自分だけでは、なんともならないことがあるから、自分だけでは、とれないバランスがあるから、誰かと関わることができたり、誰かと協力することができる。

弱いから仲間ができる。

「強さ」は自分の中だけにあればいい。

自分の目的を達成するに必要な強さを、全力で求めよう。

自分の中で、自分の強さがあればいい。

ぶれない意志であったり、徹底した技術であったり、知識であったり、人によって違ったり、観点も違うかもしれない。

自分なりの強さを自分の内側に育てていく。

「強い」は「弱くない」ことじゃない。

「強い」けど、「弱い」。

「弱い」から歯車がかみあえる。

そっちの方が強いんだな。

今日もみてくださり、ありがとうございます。支えられて、支えて強くなる。
                                              小林 克
          

2017年5月20日(土)

 

・可能性は前にひらいている。

朝目が覚めた時、

今日は何しよっかなー、どんな1日になるかなー

そんなワクワクを持って目が覚める。

その感覚を忘れたのはいつだっただろうか?

いつの間にか、

予定をたて、

可能性を確率で考え、

予定は重荷となり、

目が覚めても、ベットから上がれなくなる。

可能性は確率ではないのに、

毎日が変化があるのに、

過去の経験から、自分の未来を予測し、今を生きれなくなってくる。

そんなふうに環境に適応してきた。

その環境を変えてくれたのは、やはり環境だったと思う。

僕の目にうつる子供の姿は、可能性に満ちている。

朝飛び起きるように起き上がり、今日は何するのーとワクワクしている。

ある時、そんな子供をみる僕の目とおんなじものを、僕の両親も僕に向けてくれていたということに気づいた。

僕は、両親にとっては、可能性の塊であり、僕が子供に見るように、前に広がる未来を感じていたのかもしれない。

可能性は前に開けている。

今日もしかしたら、動かない足が動き出すかもしれない。

今日もしかしたら、考えられない出会いがあるかもしれない。

今日もしかしたら、夢に到達するかもしれない。

自分の未来を開けておくことで、いまの可能性の芽がもっとはっきり見えてくる。

そうすると人生は冒険になり、今日は冒険の始まりになる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そんな1日を過ごせるのも、支えてくれる人たちがいるから。人生は自分で切り開くものだが、切り開けるのは自分のおかげじゃない。そんな温もりを忘れずにいたい。

                                              小林 克
          

2017年5月21日(日)

 

・僕の完成形

自分の完成形はどんなだろうか?

それはどこにあるのだろうか?

そんなことを時々考える。

そんなことを考えながら、また目の前のことに取り組み出す。

僕は僕になりたい。

思い描く自分はどんなだろうか?

何か言葉にするとイメージがにごる気がして、

いつももやがかかったような感じがする。

なりたい自分になれている自分は想像できるか?

もしかしたら、それは難しいのかもしれない。

想像すればただの願望になってしまう。

きっと、想像もできないところに、自分が本当はいるのだろう。

想像もできない自分になるためのがむしゃらな一歩。

もやがかかって見えない中で出す一歩。想像なんかつかない。ただ、ただ一歩だし続ける。

その先に、きっと想像を超える未来がある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自分の枠を超えたところに、自分がいる。勇気を出して、一歩をだして自分になりに行こう。

                                              小林 克
          

2017年5月22日(月)

 

・お金の話

お金というものは、どの時代にも注目され続けるものだけど、

特に今は格差のでている時代と言われる。

お金というものに、今まで以上に注目がいっている時代だ。

生活や、今後の未来にも大切な要素になってくるお金というものは、

もしかしたら、人のメンタリティに影響を及ぼす最も強いものの一つかもしれない。

といって、僕が他人に語れるほど、お金に詳しいわけでもなく、扱いが上手なわけでもないので、

僕もこの分野に関しては、広く意見を見て、多くの方の意見を参考にしている。

そうやって少し勉強してみると、

自分の周りの人たちが、ああなんて上手に捉えることができているのだろうと感心することとなった。

お金に対しての自然な心構えが自然とできている、そんなことを感じるようになった。

個人的に好きなのは、お金を人と同じように扱う考え方だ。

良き友人と捉えると、お金にまつわる僕の中の色々な感情が自然と整理される。

嫌がるような扱いをしていないか?

巣立つ時は、気持ち良く送り出してやれているか?

人より下手なぶん、より丁寧にしていきたいな、僕は。そう思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。難しい時だからこそ、はじめて見えるところもある。できたらいい方にとらえたいよね。

                                              小林 克
          

2017年5月23日(火)

 

・寒暖の差

寒暖の差がすごい。

ここ二、三日だいぶ暑い時が続いている。

こういう時は要注意だ。

体は暑さの変化に慣れていない。

ということは、今現在フル稼働で慣れようとしているということだ。

そういう時はどうしてもロスがでる。

だからこの時期非常に体が疲れやすくなったり、気だるさを感じることになる。

その感覚には正直な方がいい。

アルコールでごまかしたりして、浅い眠りとなり、次の日しんどく、また気力で乗り切り、アルコールで労を流す。

そうなると当たり前だが、だんだん誤魔化しきかなくなってくる。

そんなサイクルが回ってしまう前に、良く寝ることだ。

この時期、必要なものは、単純である。

十分な水分と、睡眠。

我慢して頑張るより、我慢しないで、やれる方が効率が良くなるかもしれない。寝るといっても、10時間も時間が必要なわけではないから。

必ず物事には、悪いこともあれば、良いこともある。

今のいいところは、そんな環境の変化にも体はなんとかついていってくれているということ。

異常気象が毎年言われる今において、異常は平常と捉えたほうがいい。

だからこそ、柔軟に自分も変化することが、自分の平常となったのなら、むしろこれまでよりも、強くなるんだと思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。暑いと思ったら、寒い。寒いと思ったら、暑い。難しいけど、より内観している自分もいる。

                                              小林 克
          

2017年5月24日(水)

 

・今あるもの

今あるものの大切さに気づくのは、

もしかしたらそれを失った時かもしれない。

なかなか自分がみえなくて、

自分が今ある幸運を僕たちはどうしても見落としてしまう。

失った時にはじめて気づく、そんな不幸なことはできたら避けたい。

何かそんなことを思った時が、チャンスなのかもしれない。

今朝嫌な夢を見た。

いやにリアルで、でも、現実から一番遠い夢だ。

頭で露にも思ってなかったことを

夢を通して、まるで現実と違わんかとばかりに経験させてくれる。

占いとかは詳しくないけど、

僕にとっては、今を見返すきっかけをくれるものとなった。

そして、その夢は、現実ではないけど、この世界の中では、おこりうることでもある。おこっている世界もある。

その人たちの辛さの一部を経験するとともに、夢でよかったと思うのだ。

機会なんてなんでもよいのだ。

だってその幸福は、常に僕の足元を固めてくれている。

それを見えてないだけだから。

それを視野に入れて進めたら、もうブレることはない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。この感覚は大切にしたい。本当ぬくいんだよ。

                                              小林 克
          

2017年5月25日(木)

 

・今日よりも明日一歩前へ

オステオパシーをやっていてよかったと思う。

どんな状態にある方に対しても、自分がやることが明確にあるからだ。

僕たちはそれに全力を尽くすだけ。

じゃあ知ってれば誰がやっても同じかというと、それは違う。

深さがあるからだ。

そういう意味で、僕はオステオパシーをポジティブな方法論としてとっている。

本来哲学としては、構造的に悪いところを正すことによって、本来の状態に戻すという考え方だが、

言葉でいったり、やったりしていることはそうなんだけど、本質的にはもっとポジティブな意味合いで捉えている。

人生は生まれた時から前向きだ。

後退なんて決してしていない。

そうとらえるのなら、その前進の過程で生じる歪みや状態の変化は、一時のかがみでしかない。

活動は今はできないかもしれないが、今も前進している最中なのだととらえると、オステオパシーは歪みを治すものではなくて、その人の今の体をより活動的にパワフルな身体へ促して行くものともいえる。

身体にフォーカスするため、老いなどに代表されるようなどうしても、マイナスをゼロに持って行くイメージになるかもしれない。

でもきっとそれは大きな視点でみれば違っていて、今日よりも明日、明日よりも明後日、より活動的に変化していけるための身体の原則にもとづいた方法なのだ。

だから、オステオパシーはいいと思う。

今日もみてくださり、ありがとうございます。僕自身も昨日より、今日前進しているよう。

                                              小林 克
          

2017年5月26日(金)

 

・あんまり考えないこと

考えて、考えて、考え尽くして

そんな人間だった僕が、

最近はできるだけ考えないようにするためには、どうしたらいいかを考えている。

臨床にまつわることは、誠意を尽くして、考えつくしたらいい。

でも、それ以外はあんまり考えなくてもいいことも多い。

逆に頭をくねらせて、考えたことは、あんまりうまくいかないことの方が多い。

ぱっぱと即決で決めた方が、どうやら健全のようだ。

1日のうちで自分で決まりごとをつくる。

これが僕の方法だ。

これは、必ずやる。というものを作っている。

自分も心から納得できることで、トライアンドエラーからでてきた習慣のようなものだ。

そうすると、時間が拘束されることもあって、またその時間を過ごすことで、一つの安心感も得ることができて、

だいぶ考えにめぐらすという時間は、少なくなった。

自分の気持ちとか、自分の未来とか、自分のかことか、色々考え出したら何かと難しい。

何が心地よいのか、何があっているのか、自分でさえ自分のことがわからないものだ。

だから自分で決めたらいいと思った。

僕はこう生きる。

世界で一番売れている漫画ワンピースの主人公。

ルフィの言葉を思い出した。

「海賊王に、オレはなる!」

今日もみてくださり、ありがとうございます。僕は、病を終わらせたい。脊損も脳卒中も。

                                     小林 克
          

2017年5月27日(土)

 

・人の恩に報いる。

昨晩。実は電車で寝過ごし、知らない駅で目を覚ました。

急いで降りると、6駅以上通過してしまっている。

帰りの終電はもうない。

駅員さんに聞いてみると、タクシーでも相当遠いようだ。

途方にくれていると、その様子を見ていてくれたのだろう。

近くまで行くからよかったら乗って来ませんか?

ええー!ありがとうございます!!

もうダメだと思った。そんな中こんな風に声をかけてくれる人がいるのかと、驚きとともに感動する。

迎えに来てくださった方もすごくいい方で、快くぼくを乗せるスペースを作ってくださり、どこまで行くの?と。

結局自転車を置いてある場所まで送ってくれたのだった。

少しでも、とお礼を渡そうとするぼくに、

「今度は、お兄さんが違う困っている人を助けてあげてよ。」

去っていく車に深く礼をした。

神様の使いだったのだろうか?そんな奇跡みたいな出来事。

この恩に報いれる人間に成長していこう。

そう思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
本当にありがとうございました。

                                     小林 克
          

2017年5月28日(日)

 

・撮影

今までずっと使っていたリーフレットがもう尽きそうになったので、新しいものをつくる作業を進めている。

これを機に新しく写真などを撮り直そうということになり、

今日はその撮影があった。

撮ってくれたのは、ずっと長く当院をご利用いただいている患者さんの娘さん。

撮影や、ホームページなどのクリエイターとして、学生ながら、精力的に活動されているとのことで、今回お願いすることとなった。

本当にこういうご縁はありがたくて、

つくづくこの院は、ご縁でなりたっていることを実感する。

施術風景を家族以外に撮ってもらうのは、初めてたったので、

患者さんを実際に本気でやっているところを撮ってもらった。

最初だけ緊張してしまったけど、いつものように、全力でチャレンジした。

そんな場面、場面を色々なアングルで撮って下さった。

丁寧な仕事に本当に感謝です。

ご協力いただいた患者さんにも感謝です。

こうやって人と関わりながら、自分の人生が広がっていく。

こんなに幸せなことはない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そういえば、撮影料を撮映料と書いて渡してしまった気がする。ああ、恥ずかしい。

                                     小林 克
          

2017年5月29日(月)

 

・少し寝すぎた朝

先週は、色々とスケジュールが混んだこともあって、昨日の夜は、子供の寝かしつけとともに随分と寝てしまった。

夜9時くらいに寝かしつけて、次に起きたのが2時。

もう起きとこうかと思いながら自分の体をストレッチでメンテナンスしていると、

そのうちにまた寝入ってしまった。

次に起きたのは6時。

随分と寝てしまった。色々やろうと思ってたのにと思いつつも、いつも以上に動く体に、ああ必要だったんだなと思う。

こうやって、一つ一つ理解していくのは大事なことだなぁと感じる。

放っておいたら、流れていく出来事も、自分がどう意識して感じていくかで随分と変わるものだ。

体の変化も、心の変化もちゃんとその変化を感じるということは、自分を意識していないとできないことだし、ちゃと感じるからこそ、進めるということでもある。

1日1日を効力感を感じて生きることは、自己肯定の始まりであり、本当の意味で自尊心を鍛えること。

止まることはあっても、生きることに後退はない。

今日もみて下さり、ありがとうございます。よかったことに気づくのは、トレーニングが必要だよね。
                                     小林 克
          

2017年5月30日(火)


・起業してきづくこと

起業した方がいいのか、しない方がいいのか、と言われれば、

僕は起業しない方がいいという。

起業するしかないのなら、

起業した方がいいだろう。

僕は起業するしかなかった。

自分たちの夢を実現させるためには、起業するということは最低条件だった。

夢を目指さないという選択肢もなかった。

僕の夢は、僕だけの夢ではない。

すべての患者さんの夢であり、全医療者の夢だ。

あまりに途方も無いから、途中でやめようと思った。

でも、その選択肢もなかった。

ここでやめたのなら、僕の人生なかったのと同じことだ。そういうところまで、もう来ていた。

10代から始めた探求は、今年で15年目になる。

自分は幸せだ。

でも、もっと幸せなのは、実現した時だと思う。

もしかしたら、実現するちょっと手前、もう手が届くという時が一番幸せなのかもとリアルな想像を巡らす。

夢は僕を無理くり引き上げてくれていた。

でも、これからは僕が夢に詰め寄っていく番だ。

もう逃がさないぞ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。起業するというのは、そういうこと。一つの手段でしかない。人によっては、やり方を選べない人もいる。
                                     小林 克
          

2017年5月31日(水)


・男と女

人にもよるかもしれないけど、男女とは何かと違うものだ。

話すことも、男性は夢ばかり語るかもしれない。

女性は、今日あったことや、日々のなんでもない出来事を話すかもしれない。

双方に互いに性質を知らなければ思うことは、

いやいやオレの、私の、話を聞いてくれ!

かもしれない。

男性は男性の目を意識する。

女性は女性の目を意識する。

女性からすれば、そんなところカッコつけても誰も気にしないよ!ということは、よくあるところ。

反対に、男性からすれば、そっちにするか、こっちにするか、どっちでもそんなに変わらないよ!というのもあることかもしれない。

自分の我を通さず、相手のことだけでなく、その周辺環境まで理解しはじめたとき、互いにはじめて、そうする理由がわかり出す。

そして、気づくのは互いに互いを必要としていたこと。

そうして、はじめて話を聞くことができるようになり、

互いに互いの意見を尊重して、取り入れることができるようになってくる。

こういうやり取りは、コミュニケーションの基本となってくる。

コミュニケーションの力は、仕事を進める本質的な力だし、良い家庭を築くうえでも不可欠なものだ。

そんな今日の些細なやりとりから、大きなことも成り立っている。

すべてはここから。そしてここがすべて。

今日もみてくださり、ありがとうございます。
夫婦力かな。
                                     小林 克