今日のフクロウさん

コバヤシがほぼ毎日書くエッセイのようなもの

2017年11月1日(水)


・1年

おかげさまでブログを一年続けることができた。365個の記事。

こうやって、ほぼ、毎日書くことで、その時、その時に思っていたこと。考えていたことが、より鮮明となった気がしている。

ネットはとにかく扱いが苦手で、

何度も十分に続けることができなかった僕が、一年間こうやって、書き続けれたのは、大きな変化だったと思う。

自分の中で、これも一つの医療活動であると、新たな目的ができた。

何が助けになるかはわからない。それが、一つ、僕の気づいたことだ。

自分が精一杯もがいた日々も、そんなつもりはなくても、誰かを助けることがある。

セミナーやホームページの活動を通して、そんなことを学べた。

だからこそ、書き続けることはぼくにとっては大切なこととなった。

それは、これからも続いていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。一つ一つ石を置く。どこに置いたかわからないようではダメだ。だから、ちゃんと石を置いとく。それは、道しるべであり、ぼくの人生そのものだ。

                                     小林克

2017年11月2日(木)


・自分が自分の中心にちゃんといる

忙しいとき、たくさんのことが自分にふりかかってきた時、あるいは自分のトラウマが自分のバランスを崩そうとしてきた時、

自分は、自分の中心からいなくなってしまう。

どこにいったのか?

その物事へ。トラウマという過去の記憶へ。目が回るような現実の中へ、自分がどっぷり浸かって、落ち着きがなくなってしまうことに気づく。

そんな時、助けてくれる一つの方法は瞑想だ。

ドクター、フルフォードもそんな状況のときに瞑想に出会った。

あまりに忙しい毎日に、自分をちゃんと認識していること。

自分が自分の中心にいること。

そのために一度余計な想念を手放し、心の中を静かにする。

呼吸が深くなる。

気持ち良く吸って、ゆっくりと吐ける。

体にチリチリとしたものを感じる。

自分が中心に戻っている。

忙しい毎日も泳いでいける。

今日も見てくださり、ありがとうございます。そうなれば、もう忙しいとは思ってない。なぜなら、心を亡くしていないから。

                                     小林克

2017年11月3日(金)


・声

ずっと人は同じペースで生きることはできない。

中だるみのような、少し物事がゆっくりとしか進めないときもあれば、

怒涛のようにはかどり、どんどんどんどん進めるときもある。

焦ったって何もうまくいくわけではないのに、焦ったり、がんばろう、がんばろうと思ってもがんばれない。

そんな時、何か無性に聴きたくなったり、見たくなったりする声がある。

それは、たぶん誰かの同じようにもがく声だ。

伴走してくれる。そんな感覚ほど、勇気となることはない。

僕が施術でやっているのは、走れなくなるくらい頑張り切った、頑張りきってしまったひとを、ギアを調整し、エンジンを調整し、骨組みの歪みを直して、ゆっくり、ゆっくりエンジンのかけ方をアドバイスしながら、いいくらいの勢いで走りだすまで、伴走することだ。

伴走するのは、何もそんな方法だけではない。

本気で何かに取り組む人の言葉。叫ぶ声。表現される歌。なんだって、自分を後押しし、ともに歩んでくれる。

自分にとって、今、それはなんなのか?

それを理解できるセンサーは鍛えておいたほうがいい。それは、自分にも優しくできる心の初露だ。

声を聞こう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。声は何も自分の声だけじゃない。他人の声が自分を表してくれているときもある。

                                     小林克

2017年11月4日(土)


・人生いろいろ

早く生まれたとか、遅く生まれたとか、10代のころはその差はすさまじく大きいかもしれないが、

年が30も過ぎてくるとそれほど関係ない。

少し早く生まれたって、人生精一杯生きてきたって、この歳になってくると、自分よりも年下の人から学ぶことなんて山ほどある。

異分野であればあるほど参考になるし、同じ分野であっても、それの取り組み方とかひとそれぞれの工夫は必ずあるもので、すごく参考になる。

僕はとにかくまず自分で考えることを大切にしている。

特に自分の仕事に関することはできる限り。

先人の有能な知恵があることはわかっているが、同じ人間なのだから、僕も同じことは当然考えられるはずだという自負もあり、(専門分野に限って)
まず、持論を作ってから、その他の意見をみることで、初めて自分との違いが明確になって、持論がブラッシュアップされると思っているからだ。

そんな時に参考になるのは、何も有能な先人の言葉だけじゃない。むしろ、同世代や僕よりも若い世代の言葉ほどより参考になる。

自分の意見という、一つの作品があるから、どの意見も参考になる。

時代は決して後退しているわけでなく、自分たちが思っている以上に広く、大きく進んでいるのを実感する。

それをどう支えるか?

これもまた持論だ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。人生いろいろ。それでいい。それがいい。

                                     小林克

2017年11月5日(日)


・いい方向性。

時代は変わる。今まで以上にツールが発展し、広く、早く情報がえれるようになったのなら、やり方や考え方が変わっていくのは、納得できる話だ。

でも、その方向性がどんな方向に向いているかで、ああきっとこれは流れが変わるなとか、次に行く場所も見えてくる。

発展していくものは、プラスの感情が乗っているものだ。

例え広くスタンダードになっているものでも、

意志の方向性が恐怖や、心配の中にあっては、それは最終的にはそうでないものと置き換わっていく。

医療は手に帰っていくと思っている。

ヒポクラテスの時代。今のような化学物質はなかった。

その中で発展していったものがあったはずだ。

医療は恐怖からの解放という一番強い依存性への慣習をはらんでいる。

病とは何か?人生とは何か?

そういった思想が医療に反映され始めた時、日本の医療は見事な調和をみせる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。自然と調和されている国も多い。意外に西洋医学一辺倒は珍しいのかもしれない。

                                     小林克

2017年11月6日(月)


・あきらめないリハビリ

あきらめないことを障害受容ができてないという言葉なんかで片付けられたら、

その当人は、もう腹が立ってしかたないだろう。

障害受容というのは、身勝手な言葉だと感じるようになった。

受け入れるということは簡単には言えない。

自分自身が熟慮と覚悟を持ってそれを言うのならいいけど、そうでもないのに言うのは、傷つける結果にしかならない。

自分の人生を100パーセント、全肯定して生きている人間なんているだろうか?

全ての人が、肯定する自分と否定する自分の中で葛藤しながらバランスを保っている。

その中で覚悟を決めて、生き方を決めて、人生を歩むのだ。

決めてからだって葛藤の連続だ。

その人にしかわからないものの中でいきている。

他人がとやかく言うことじゃない。

リハビリし続けたい人はし続けたらいい。自費の比較的リーズナブルで非常に理にかなったリハビリ施設ができることは、大切なことではないかと思っている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。リハビリテーションを本当に実現できる社会は、病院だけではできない。
                                     小林克

2017年11月7日(火)


・成長

より物事が深く理解できるようになることは、

何かが楽になるということと決してイコールではない。

より深く知ったことで、新たな責任がでてきたり、

より複雑なことにあたる必要がでてきたり、

自分自身をもっと受け入れることが必要になり、逆にずんとなる、なんてこともある。

でも、きっとそれもセットで成長なのだ。

年をとればとるほど、社会的にやれることは増えていく。

若い時にはわからなかったことが少しずつわかってきて、いつのまにか、誰かに相談されるようになったり。

それがいいのだ。

年をとることは成長そのもの。経験を積むことは成長そのもの。

成長している自分を自覚し、周りをみたら自分の立ち位置が見えてくる。

積極的にその役割をとっていこう。それは今の自分にしかできないこと。

今日もみてくださり、ありがとうございます。人生とともに成長する。成長する自分でい続ける。そんな大人に子供は憧れる。
                                     小林克

2017年11月8日(水)


・思いは重なり、そして伝わる。

ある映画をみて、学んだことがある。

思いは伝わるということ。

どうしても一緒にいてやれない時がある。

どうしてもそばで支えてあげれない状況がある。

そんな時自分はどんな選択をするかをずっと考えていた。

自分にできることは信じることだ。

大丈夫だと信じ、今自分がやるべきことに集中すること。

気にかかる思いを洗い流し、自分に与えられたことを行なっていくこと。

心は繋がっている。

自分が後ろ髪ひかれる思いは、相手もそうさせてしまう。一番優しいのは、忘れること。信じること。

どんなことがあっても大丈夫。

遠く離れていても大丈夫。

意味があって起こる、全てのことの1ページだ。

思いは重なり、連なっていく。

今日の想いを重ねよう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。本当の優しさはちゃんと伝わる。

                                     小林克

2017年11月9日(木)


・無駄なこと

一見無駄だと思えることも意味がある。

遠回りに見えることも実は自分にとっての最善である。

駅のホームで足止めをくらったり、

思ったより寝すぎてしまったり、

なんとなく気分が乗らずしてましまうネットサーフィンとかでさえも、

時間の無駄使いをしてしまっていると思ってしまうが、

そちらの方がよかったのだ。

気分が乗らずそうやって無駄(だと思うこと)に費やす時間は、自分を癒しているようなものだ。

逆に、自分への癒しのつもりでそういうことに取り組んだのなら、今度は意外な発見があったり、すぐに切り替えることができたりする。

時間だってそうだろう。

このまま急いでいたのなら、もしかしたら事故にあっていたかもしれない。大きなミスをしてしまっていたかもしれない。

あとで振り返ってみたら、何も無駄なことなんてない。

もちろん、一時的に落ち込むことも大事なこと。

でも、切り替えたら今すべき目の前のことに集中しよう。

すべて必要があって来ていると思うことがまずの第一歩を踏むことになる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。切り替え続けると、切り替えやすくなる。
                                     小林克

2017年11月10日(金)


・キャラクター

私はこういうキャラだ。

というのは、なんだか面白い表現だなぁと思っていた。

自分で自分を客観視し、心地よさとのバランスを考え、なおかつ自分の存在を自分で決めているからだ。

大阪に転校して来た当初、おれはつっこみやからと、職業のように、自分の立ち位置が決まっていることに驚いた。

もうその段階で、芸人である。

こういう思考過程は、関東で過ごしていたころの自分にはあまりにも考え遠いものだった。

力強いキャラを育てていくのもよし。

自分の中にたくさんのキャラを持っていくのもよし。

考えすぎず、楽しんで自分づくりできたのなら、面白いかもしれない。

自分探しのあとは、自分づくり。

何もできない今の自分も、一つ一つ積み重ねることで、少しずつ繋がっていく。

今日もみてくださり、ありがとございます。思春期超えたら、やるのは自分づくりなんだろうな。

                                     小林克

2017年11月11日(土)


・リーダー

中学校の時は、生徒会の副会長。

サッカー部では、ゲームキャプテンは別にいたけど、一応部長。

子供の時は、そういう立場につく意味を考えることはない。

30代も過ぎて、少なくとも新人ではなくなったきたくらいから、

自然と後輩の数が増えていった。あたりまえだけど。

これから年をとれば、とるほど、年下が増える。

今Jリーグで活躍している選手たちがずっと自分より若いことに、なぜかびっくりする。そんな年になったんだ。僕と同い年で活躍していた選手や後輩はとっくにいいベテランになっている。

少しずつ社会的にはたせる役割も増えてくる。成長ということなのだが、もっと意識してしていきたい。

セミナー講師をするようになって、少しだけ人に見られるということを意識するようになった。

随分たって今思うのは、どんな年になっても、何を言うでもなく、生き方や行動そのものが人を引っ張るような人間になりたい。

30代なら30代。40代なら40代。それぞれの年齢やステージでやるべき課題があって、さらにその先のビジョンがあって、それに常にチャレンジしてるものだ。

たぶん一番もがいてる人がリーダーなんだと思う。

僕らの諸先輩方はそんな苦労を見せない方が多かった。だから後輩の僕は、先輩達がみせるその奥行きの背景を感じるように努めた。

そうやって背中で引っ張っていってくれたんだろう。

学べることは山ほどある。

今日もみてくださり、ありがとうございます。経験はそれだけで財産。でもその財産もちゃんと見ないと(学ばないと)さびれてくる。それも確か。

                                     小林克

2017年11月12日(日)


・重ねること。

ただなんとなくやっていることは多くある。

勉強に関しても、日常に関しても。

一つ一つそれに意味づけしている人は稀だろう。

でも、その一つ一つに意味があるんだ。

ただなんとなくやっていることを一つでも減らせば、それはその人にとって、おそらく自分を成長させる大切な要素になるだろう。

例えば体を洗うこと一つにとっても、そうだ。

時間はなくても、気持ちは込めれるしね。

その一つ一つの想い重ねが、自分を作っていく。自分の考えや、日常の中の慣習を変えていく。
気づくと随分変化した自分がいる。

僕たちのような技術に関してもそうだ。

なんのためにそれをやるのか?目的や意味を理解することは、それだけで成長だ。

そして、その意味を理解してからの臨床は、知らなかった以前とまるで雲泥の差となる。

だれもが足りず、ずーっと伸ばせるところ。

丁寧にいこう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そんなリハビリテーションのベーシックになるものを作ろうと思う。
                                     小林克

2017年11月13日(月)


・時代

時代というと石器時代とか縄文時代とか、なんか歴史上の話なような気がする。

でも、それぞれ心の中に時代や時期というものはある。

少年時代とか青年時代とか。

それだけじゃなく、なんとなく自分の中での変化もそうだろう。

子供から大人へ。

企業戦士から起業家へ。

独身から愛妻家へ。

そういう変化の連続こそが、自分を自分にする。

だんだん自分と環境の境がなくなってくる。

自分が環境を動かしているのか?環境が自分を動かしているのか?

そうなってきたら楽しい。

充実しているというのは、きっとそういうこと。

今日も見てくださり、ありがとうございます。新たな時代へ。自分の心が向かっている。

                                     小林克

2017年11月14日(火)


・ドタキャン

時折ドタキャンということがおこる。

施術業ではまぁあることだ。予約を忘れているだけならまだいいが、本当に音信不通となることある。

施術を通して出会ったものとしては、

普通に心配します。

なかなかに強い痛みで来院される方も多いので、

ガンでも見つかったかな、とか事故にあってしまって入院しているのかとか。

せっかく出会って、その時本当に全力で診ているので、やっぱり元気でいてほしい。もし退院されたなら、また連絡ください。

こんな時、竹原ピストルのドサ回り数え歌というのを思い出す。

「弦切れて、縁切れて、元気でね。」

お元気で。

今日も見てくださり、ありがとうございます。どうもありがとうございます。

                                     小林克

2017年11月15日(水)


・簡単ではないことを

二つの選択肢があるなら、難しい方を選べ。

父から聞いてきた言葉だ。

それは、父の先輩たちが実践し、背中を持って見せてきた言葉だった。

僕も父の背中を見て、その実践を目の当たりにしてきた。

大人になって初めてわかることだが、

父の歩んできた道も、簡単な道のりではなかったと思う。

バランスをとりながらも、難しいほうを。

チャレンジをして生きていく。

自転車に乗っている時、コケるかもしれないと不安に思う人はいない。

ただひたすらこぐから、車体は安定し、前に進んでいく。

簡単ではないことも、考えて、考えて、少しずつでも進むことで、光明がみえる。

今日も見てくださり、ありがとうございます。若々しいとは少し違う、経験からくる力強い大人に成長していきたい。
                                     小林克

2017年11月16日(木)


・自分でいること。

自分とはなんなのかな?と思うと思考の迷路にはまったような感じになる。

よくよく考えてみると、

自分は何が好きで、何に向いてて、

どんな性格で、どんな人間なのか、

あまりにもあやふやにしか答えることができない。

だから、自分というのは、ある意味で周りから基底されているのだろうと思った。

自分の周りにいる人、物、環境、言葉。

それら含めて自分で、それらを通して自分が浮き彫りになってくる。

そう思うと、今目の前にあること。

これはまさに自分のすべきことだ。

これが自分の道なのだろうと思った。今すべことをしたなら、次が見えてくる。これは毎度のことだ。

自己実現という言葉に少し違和感を覚えるようになった。

自己実現とは、どこかの誰かになろうとすることじゃない。道のりの先にいる自分は、どの前例にも属さないだろう。

今日もみてくださり、ありがとうございます。そうやって、意味を見出すんだろうな、あとづけの。それが強さ。

                                     小林克

2017年11月17日(金)


・虎の穴

僕がオステオパシーを始めた時、

これから僕は虎の穴に入るのだなと思った。

影響力の大きいものほど、習得は難しく、教えも関係もまた厳しく、我も必然的に強い。

この世界で揉まれることは、虎の穴に入ることに等しい。

経営者ばかりの集まりに行った時も同じことを感じた。

皆目は優しくとも、虎が目の中にいるようだ。(笑)

何かを始める、だれかを率いる人はみなそうなのだろう。主張の強さも、眼光の強さも力あるものだった。

男は揉まれなければならない。

強きに飛び込み、磨くというのは、ある意味男として生まれた一つの楽しみともいえるだろう。

虎穴に入らずんば虎子を得ず。

そんな初心にいつも、何歳になっても帰れるようチャレンジを続けたい。

今日もみてくださり、ありがとうございます。この世界は面白い。
                                     小林克

2017年11月18日(土)


・自分を使う。

自分をものだと捉えてみると色々見えてくることがある。

ものと捉え、どう役に立つか?何に役に立つか?

そうすると自分の今の姿が見えてくる。

自分の長所と捉え鍛えていくこともできる。

僕は自分を薬だと捉えた。用途万能の治療薬。これが僕の鍛える目標だ。

もし、そうなのだとしたら、その薬をどう使ったらいいかは明確だ。

そうやって、自分のやるべきことに純粋になっていける。

自分の役割きちんと決めると、人はシンプルになる。

シンプルになると、人は強くなる。ぶれなくなる。

そして、柔軟になる。

僕たちは何ににでもなれる。とは僕は言えない。だけど、役に立つものには必ずなれる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。シンプルは強い。
                                     小林克

2017年11月19日(日)


・フリートーク

芸人がネタで売れて、その後もずっと売れるかどうかはフリートークが上手いかどうかだという。

まさにそれは、地が面白いかどうか。

そういうことだと思う。

それは、芸人としてのこれまでの人生の全てがでるのではないか?

友達との会話。家族との会話。後輩との会話。ネタへの研究や、笑いの技術。

フリートークはただ面白ければいいのではない。ちゃんと話しを聞けて、それにあった内容の中で瞬時に判断しながら、そこに笑いを含める。

まさにその人が培ったもの全てを使って。

もちろん、やればやるほど。その場を経験すれば、するほど伸びていくものでもあるが。

治療も同じことは言えると思う。

パフォーマンスは、それに特化させたらいくらでも目を引ける。

でも実際の臨床の現場はパフォーマンスではない。

そして、技術だけでもない。

自分がどう過ごしてきたか?何を考え、何を探求し、どんなふうに一つ一つを重ねてきたか?

そんな積み重ねが質を決めていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。治療は質です。質は1日ではならず。頑張るだけでもならず。ちゃんと積んで、重ねることだけでなる。

                                     小林克

2017年11月20日(月)


・夢

夢でみる人は何か印象が随分と残る。

不思議なものだ。

全然気にも止めなかった人が、急に夢に出てきたり、

思いもよらないシチュエーションであったり、

ありえないことの中で夢は進行するのに、起きてみるとなんとなく現実でもそんな気がしてしまう。

夢とは面白いもので、

潜在意識の現れと言われたり、

予知であるといわれたり、

浅い睡眠だから、とか、脳の整理だとか、

色々いわれたりする。

個人的には、その全てに当てはまるものでもあるし、当てはまらないものでもあると捉え、

あまり気にしない。

というのが僕の今のスタンスだ。

でも、なんとなく夢でであった人たちは、はて元気かな?と少し思いをはせる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。夢ででてきてください。と思うと、逆にでてこなかったり(笑)面白いものだ。
                                     小林克

2017年11月21日(火)


・ガムシャラ

いろんなことにチャレンジして、いろんな経験をして、

怖いことも、つらいことも、

自分の底も知ったし、自分の悪いところもたくさん見えた。

普通に理学療法士として生きてたら考えなくてすんだものを…そう思った時もあったなぁ。

自分の弱さが自分をじわじわ締める、そんな経験も多かった。

でも、そんな積み重ねが自分のトゲを一つとり、二つとりしていっている。

助けをちゃんとありがたく感じれるようになった。

思いやりをちゃんと受け止めれるようになった。

思ってもらえることのありがたさがわかった。

前よりも、よりガムシャラにやれるようになったと思う。

純粋にすべきことをやれることは、本当気持ちいいものだと知れた。

これからも精一杯生きていく。

今日もみてくださり、ありがとうございます。幸せな1日を。
                                        小林克

2017年11月22日(水)


・チョコとコーヒーとクリスマス

なぜか冬にコーヒーの匂いをかぐとクリスマスだなぁと思う。

チョコとコーヒーを一緒に食べるとクリスマスらしい風景が頭をよぎる。

雪国に住んでいたからか、クリスマスはいつもなんとなくワクワクした。

大人になった今もその感じはあまり変わらない。

サンタが空を進むその下にある家々の灯りが好きだ。

そこに描かれる家族の温かな雰囲気が好きだ。

それを穏やかに空から見ている、そんなふうなことに心が安らぐ。

みんなそれぞれの家族が、それぞれの家族らしく、なにも気張らず、そのままで、ただ暖かく、ただにこやかに、そんな一晩を過ごせますように。

そんな1日が、たった1日だけでもあるのなら、それは人々の記憶に残るものになる。やがて、そんな毎日へと向かっていける。

まだまだ時間はあるのだけれど、今年のクリスマスがそんな奇跡に包まれますように。

そんなことを思った。

今日もみてくださり、ありがとうございます。24日はセミナーしてます(笑)
                                        小林克

2017年11月23日(木)


・振り返ること

ふりかえることも悪くはない。

これまで歩んだ道のり。

この時はこんな気持ちだったなぁとか、

それと比べたら今はだいぶマシだなぁとか。

現在の位置を確認することもできる。

少なくとも、ちゃんと進んできたのだ。

前だけをみていると、もしかしたら先の道が途方もなく感じてしまうかもしれない。果てしなく続く終わりのほとんどないような旅を歩んでいる。

何かの記念品というのがある。そんな時に少し振り返ってみることは、むしろプラスかもしれない。

別に進まなくたっていいんだけど、そのままで十分なんだけど、人はじっとしてたって、何もしてなくたって進み、変化している。

それも、人生の楽しみの一つ。

今日もみてくださり、ありがとうございます。今日は勤労感謝の日だった。働かせていただいていることに感謝したい。
                                        小林克

2017年11月24日(金)


・小さくまとまるな。

変化することは怖いことだ。

違う世界に自分の足を踏み入れるようなもの。

でも、とりあえず希望を言ってみよう。

こうなりたいと言ってみよう。

そしたら目の前のやるべきことが急に変わる。

考えるべきことが急に変わる。

どんどん思考が広がり、具体的になっていく。

これは止められないことだ。

だって、もうそれをする人になったんだから。

障害をもったって、入院していたって、家でしか過ごせなくたって、

小さくまとまるな。

人の手を借りたっていいじゃないか。

器具の力を借りたっていい。

自分が思っている以上に他人は勇気をもらっている。

今日もみてくださり、ありがとうございます。休むことも大切。十分休んで、さあまた歩み出そう。

                                        小林克

2017年11月25日(土)


・次のステップへ

施術業で出来る限り、真っ当に、

そして、本質的にいたいと思ってきた。

医療の新たな考えとして、オステオパシーが日本に貢献できると思っている。

最近になって、ようやくだいぶ聞かれるようになってきたと思う。

昨今の筋膜ブームもあって。

筋膜ブームだろう。でも、それについての研究は西洋医学が今のように抗生剤を使ったり、先進的なオペをするようになるはるか前から、オステオパシーは施術の中心にとりいれ、臨床や実験の中で明らかにしてきた。

今の筋膜ブームで入れていることや、その応用は筋膜の世界のほんの一部だ。

オステオパシーは構造の科学である。ひとの人体構造を本当にあるがままに捉えることのできた唯一の科学だといえる。

日本のオステオパシーの次のステップは、きっとそれをより受け入れやすいものに、言語化し、広めていくことだろう。

正直それは中途半端な人がやっちゃいけない。

だからこそ、チームでしっかりとやっていく。

そんな次のステップにワクワクしている。

今日も見てくださり、ありがとうございます。来年に向けて今から少しでも少しでも積み重ねる。

                                        小林克

2017年11月26日(日)


・パニック

新しい世界に足を踏み入れた時、

新しいチャレンジをスタートした時、

強く、エネルギッシュな環境(人たち)に触れた時、

脳の中は、その新たな環境を解釈、取り入れようと必死に再変換をする。

今までになかった概念を取り入れ出し、今まで注目していたものを捨て、違う感性へ。引っ張られるように急速にその作業を行う。

いったんはパニック状態そのものだ。

何が何だかわからず、作業もうまくいかず、なかなか進む気もおきない。そんな時は、そういう時なのかもしれない。

そんな時はあまり考えすぎず、穏やかに待つことだ。

なんのこだわりも持たず、少し無にでもなったように、やわらかにやれることをやってたらいい。

そのうち、脳の再変換が終わって、新しい発想が湧いてきたり、今までになかったギアが入りだす。

こだわらず、ふんわりと。

今日も見てくださり、ありがとうございます。とまってるように見えても、止まってなんかない。

                                        小林克

2017年11月27日(月)


・人付き合い

人間関係が今の現代人の一番の悩みの種だと思う。

なんでそんなことを言うのか?

なんでそんなふうに言うのか?

どうしても頭がつっかかってしまうこと。どんな人も必ずある。

でも、自分の心に照らしてみたなら、

多分その人も僕と同じ気持ちなんだろう。

もしかしたら僕よりも強くそんな気持ちなのかもしれない。

僕たちが何かに反感の気持ちを得る時は、その事象が気になる(波長が似る)からだ。

その姿は、自分が歩むはずだった姿なのかもしれない。

自分だったら絶対にしない。してはいけないと思っていることをされたなら、そりゃあ拒否したくなる。

でも、それは反対側の自分でもあるんだ。

なんでそれは絶対にしてはいけない、と思っていたんだろうか?

そこに自分のこだわりと、心のくせが見てとれる。

この世界には全ての事象が存在する。

拒否はある部分で恐怖の可能性でもある。

それもあることだと受け入れれたならさらに大きな視点で物事を見つめれるようになる。

あなたの嫌いなその人は、

本当はもしかしたら、ものすごく、寂しくて、孤独で、でもだからこそ人の痛みがわかる、そんな可能性を持った人なのかもしれない。

今日もみてくださり、ありがとうございます。きっと今よりも自分を知ることができる。きっとね。

                                        小林克

2017年11月28日(火)


・フラットが勝ち

何かいざこざになった時、引き合いになってしまった時、

こういう時は、

引ききるのが勝ちではない。

先に手を離した方が勝ちなんだ。

固執している思いに気づき、先に手放した方が勝ちだ。

掴んでいた綱を離したなら、相手はビックリして一度転んでしまうだろう。

でも、そのあとようやくたちあがれる。

初めてそうして綱をその人もはなせるのだ。

相手の本当の気持ちがわからなくたって、それなりにコミュニケーションをとった相手なら、やっぱり気にはかかるもの。

自分が思っているより相手も気をかけている。

握りしめた綱を少し緩めてみよう。必死に引っ張る相手の圧力や気持ちがはじめて流れてくる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。またひとつ成長できる。
                                        小林克

2017年11月29日(水)


・幸せな夜の一人飲み

普段はあまりお酒を飲んだりはしないんだけど、

遅く帰ってきて、一人で作ってくれていた夕飯を食べる時は、少し飲んだりする。

「幸せな気持ちの時には、一人で飲みながらその幸せだった出来事を思い出して感謝する。」

そんな素敵な習慣に出会ったので、真似てみた。

思うと幸福ばかりだ。

色んな人に出会わせてもらって、たくさん支えてもらって生きてきたんだなぁと改めて思う。

ここでこれが決まらないとヤバイ!みたいな時も、どこかから助け舟があった。

苦しかったなぁと言う時も、それがあったからこそ気づけたものがあった。

奇跡的な出会いのおかげで今がある。

色んな話をしてきた。幸せだったなぁ。

ありがとう。

幸せな一人飲みはやっぱり幸せだった。

今日もみてくださり、ありがとうございます。感謝できない日があるかもしれない。でもそれもいずれ感謝に変わる。だから今日一日もがんばろう。

                                        小林克

2017年11月30日(木)


・与えられた場所で

自分の環境を嘆くことはきっとあると思う。

人間だから。弱いから。

でも、少し嘆いたなら一旦落ち着いて、事実に目を向けよう。

代わりのいない人生を、代わることのできない環境で生きている。

奇跡みたいな確率で与えてもらった人生。

それだけで、恵まれていると言えるだろう。

もっとよく回りを見てみたら、そんな環境の中でキツキツ勇んでいたのは自分だけなのかもしれない。

きっとそれも悪いことではない。

色んな流れがあるものだ。もしかしたら、今日の昂ぶった感情は自分の中にあるものをあぶり出しているのかもしれない。

与えられた環境で、自分なりの花の咲かせ方を学ぼう。

それは自分の中にしかない。

今日も生きよう。今日のすべての出来事、これからの行動が自分の人生をつくる。

今日もみてくださり、ありがとうございます。絶対に波にのれるときはくる。しばらくは波にだってのまれるさ。
                                        小林克